令和元年大晦日となりました!

 今年も残りあとわずかとなりましたね。ついこの間新しい年号になったばかりだと思っていましたが、すでに8カ月がたちました。
 皆さんにとって今年はどんな年でしたか?

 おかげさまで私はかなり良い年だったと思います。
 私立校での非常勤講師も5年となり、授業・部活指導・受験指導も充実しておりましたし、校外活動においても岩手、山梨、千葉などで講演をさせていただきました。
 また広島大学附属小学校編集の月刊誌「学校教育」への執筆も、3回シリーズ(2020年1~3月号)で担当させていただきました。
 そのほか、アゴラ-言論プラットフォーム‐へも、主に現場教員の立場から数回ほど投稿することができました。

 一方、家庭・親族の関係でも特に大きな問題は生じませんでしたし、プライベートでは月1回のサイクリングを楽しみましたが、特に11月の兵庫県佐用町の大会には大満足でした。

 「わだしんの独り言」ブログも、おかげさまでこの12月は月別アクセス数が記録更新(現時点で1368)となりました。私のつたないブログを読んでくださる方が増えたことは本当にありがたいですし、励みにもなります。
 せっかく時間を割いて読んでくださる方が増えたわけですから、幻滅させることのないように、これからも冷静かつ客観的に、できるだけエビデンスを示しながら、和田流のコメントを書いていきたいと思いますので、今後ともお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 それでは皆様、良いお年をお迎えください!

著書「日本はすでに侵略されている」の紹介

 久しぶりに、最近読み終えた書籍を紹介します。
 だいぶ過激なタイトルなのですが、決して「陰謀論」の類でも、執拗に不安を煽ることでウケを狙った本でもありません。
 私が読む本はノンフィクションが多いのですが、これまで数多くの作品を読んでいますと、著者の主張への賛否など個人的感情をできるだけ排して、内容の充実度・構成(起承転結等)・エビデンスの有無などにより、ある程度客観的な評価ができるようになりました。アマゾンなどのレビュー五段階まで明確に区分できませんが、「期待外れ」「普通」「期待通り」くらいの判断はできるようになりました。
 今回「日本はすでに侵略されている」を紹介しますのは、まさしく「期待通り」だったからです。
 高評価の主な理由は以下の3点です。
 ① 著者が巡検・聞き取りなどをした具体的な事例を多く取り上げている
 ② 概ね客観的データ(数値等)をもとに冷静に分析している(多少危機感をあおるような表現はあるが)
 ③ 同類の問題ではある程度情報を得ている私が知らなかった情報も載っている

  アマゾンでの「日本はすでに侵略されている」はコチラです☟

日本はすでに侵略されている (新潮新書) (日本語) 新書 – 2019/11/14
平野 秀樹 (著)



 要点を簡単に紹介しますと、
序 静かな侵略
 ハミルトン教授が著書「静かなる侵略」で中国によるオーストラリア侵略の実態を明かしたが、日本も同等以上に侵略されいている
Ⅰ 忍び寄る大陸の陰
 ・日本の辺境では、過疎化→無人化が、ここ10年外国化→中国化に置き換わっている
 ・国会議員もマスコミも辺境問題を重大視していない

Ⅱ 「国土不明」が止まらない
 ①奄美、対馬などで防衛上の拠点(自衛隊基地、訓練場、電波受信防衛施設等)すぐそばの土地が外国資本(中国・韓国)に買い占められている
 ②北海道ではリゾート地(ニセコ、夕張リゾート、トマム、サホロなど)が次々と中国資本に買い占められた

Ⅲ 多面化する不明化
 ①観光クルーズ船からの失踪者…106人(2018年)→運び屋、単純労働者に
 ②外国人留学生…東京福祉大学では3年間に1400人が失踪行方不明
 ③外国人技能実習生…失踪者は判明しているだけで2万6千人(2018年末)、2018年だけで9052人
 ※②と③を合わせると失踪者は数万人を超える
 ④外国人買取の土地に所有不明者が多く、固定資産税が徴収できない
 ⑤ソーラー発電用の土地買収の3~4割が外資系(主に中国)である→エネルギー安全保障の不安
 ⑥医療福祉への外国人のただ乗り(日本の国民健康保険は国籍無用で親族一同の他国での手術費まで適用)
   *荒川区で人口3%の中国人が海外医療費の37.5%を占める
   *外国人の生活保護世帯数は10年間で56%増加
 ☆㋐資源(モノ)の売却処分 ㋑ヒト(外国人労働力)の動員調達 ㋒カネ(国家予算)の集中投下 の国境の枠を解いてしまった

Ⅳ 日本の遷移―不明化ニッポンの未来
 ①東日本大震災の5日後、新潟の中国総領事館が東北地方に住む中国人を新潟市体育館など3か所に集め、一時日本人の立ち入りを拒否する租界(治外法権)状態になった
 ②危惧されるシナリオ
  (1)大量移民と地方自治の崩壊→(2)主権の喪失(租界・租借地化)→(3)言語や文化の置換→(4)日本色の希薄化、消滅

 
 ここから私の感想です。
 個々の外国人は良い人悪い人さまざまであり、私もすばらしい外国人を何人も知っています。ここで問題にしているのは、日本の国家としての対応であり、国家としての中国の外交や戦略は警戒する必要があると思うのです。
 悪い外国人をただ批判していても問題は解決しません。著者の言うように、むしろ付け込まれる隙だらけの日本政府の政策に問題があるわけで、外国人労働者、土地取得、医療福祉、エネルギーなどについての明確な方針を長いスパンで考えて確立するように、迅速に取り掛かってほしいと思うのです。
 
 この先日本が繁栄していくためにも、できましたら若い方ほどこの本を読んでいただければと個人的には思います。

   
 

日本のスポーツ組織・協会のあるべき姿は?

 今年はラグビーワールドカップベスト8や、世界野球プレミア12の優勝をはじめ、様々なスポーツにおいて盛り上がりを見せました。
 東京オリンピックに向けて、各競技の意気込みも伝わってきます。
 
 ただ、近年はスポーツ指導者の問題も指摘されるようになってきたことも事実です。私自身は指導力も権限も大してない指導者ですので、著名なスポーツ指導者の指導法については、安易に個人批判をすることは控えたいと思います。
 むしろ直接の指導法よりも、各競技スポーツにおいて、最近は頂点に君臨する会長・理事長やその協会に関する問題が露呈する頻度が増していることに注目しています。
 
 この問題に関して、かなり的を得ていると思われるWEB記事が掲載されていましたので紹介します☟

各競技団体でワンマン会長の問題が露見。その背景に“東京五輪効果”。



 この記事の要点をまとめますと、
① スポーツ庁の「ガバナンスコード」による運営健全化(任期の制限、通報制度、外部理事の起用など)
② 長年にわたりしみついた力を持つトップダウンで物事を進める体質
③ 長く力をふるう→周囲のチェックが利かない→「私」の領域にある欲求による行動
④ 普段注目度が高くない競技団体→小さな組織で貢献している自負が強権的な運営、独断につながる
⑤ 地元開催のオリンピック効果が問題を浮き彫りにする
⑥ スポーツの別の本質…公正、公平→指導者と選手、組織内の関係、運営面でその根幹を意識する

 いずれももっともなことだと思いますが、皆さんはいかがですか?
 私は特に①の「ガバナンスコード」が大事だと思います。政治の世界でも大統領(首相)が3期以上、10年以上になると前例踏襲、腐敗、汚職が増すといわれますから任期の期限は必要です。
 また日本の多くのスポーツ界で、競技で実績を残した選手(第一人者など)がその後理事長・会長に昇りつめるケースが見られますが、私は選手への㋐心技体指導面と、㋑組織・協会運営面 を明確に分けるべきだと考えます。
 そして㋐における実技指導者も、現役の成績重視にとらわれず、「名選手、(必ずしも)名監督あらず!」といわれるように、無名ではあってもコーチ等指導者としての実績も同等に評価し登用すべきだと思います。
 またスキルだけでなく心と体のサポートとして、栄養健康面で栄養士や臨床心理士などを指導幹部スタッフに加えれば、選手のストレスもかなり軽減できるかもしれません。 
 また、㋑の組織・協会運営面を経営・経理の専門家に任せた方が、元スポーツ選手は原則実技指導に集中できますから、組織としても機能しやすいと思うのです。さらに組織のチェック機能を高めるために、法曹界からコンプライアンス専門の幹部スタッフも加えれば、競技全体の活動もかなり改善されると思うのですが。

今年の部活動終了!

 昨日27日は仕事納めというサラリーマンも多かったと思います。私は昨晩も忘年会のため街に出ていましたが、21日(土)と比べると混雑度はかなり低いようでした。
 21日は、私の感覚では数年ぶりくらいのすごい人込みで、「ここは新宿か?」と勘違いするほどでした。
 ただ最近思うことですが、浜松の夜の街も12月の週末だけは混雑しますが、他月の平日などは閑古鳥が鳴く状態で、タクシーは暇そうに何十台も待機している光景をよく目にします。
 「若者が酒をあまり飲まなくなった」「景気が良くない」「飲酒運転の摘発・罰則が厳しくなった」「企業などの接待費が減った」などと理由は様々でしょうが、飲み好きな私としては、思わず「今時の飲食店経営者は大変だろうな」と察してしまうのです。

 さて話は変わり、本日28日は副顧問をしている中学校野球部の今年最後の活動日でした。活動といいましても大掃除なのですが。
 部室、器具庫、移動に使うバスの掃除を1,2年の部員6名で行いました。周りを見るとテニス部も大掃除をしていましたので、おそらく勤務校の部活動で長く培われてきた習慣なのだろうと思います。
 
 だいぶ前ブログで書いたことがありますが、勤務校の生徒達は本当によく挨拶をしてくれます。登校時の挨拶に始まり、授業の開始終了時、休み時間廊下ですれ違う時、放課後校舎内外ですれ違う時など、おそらく9割がたの生徒はすすんで挨拶をしてくれます。
 私はいちいち数えたことはありませんが、おそらく1日平均50~100回程度は挨拶を返していると思います。

 中学野球部も正顧問から挨拶の大切さを教えられています。顧問が指導のためグランドに来た時・終了時、グランドに入る時・出る時、相手チームと監督・審判に対して、ノックを受ける時・終わる時、他の先生・保護者・スポーツ店員などと顔を合わせた時など、「お願いします」「こんにちは」「ありがとうございました」と挨拶をするのです。
 下級生などは、まだまだ声が小さかったり形だけになってしまうことはありますが、上級生の様子を見ながら徐々に挨拶らしくなっていきます。
 技術だけでなく、精神的な面で成長していく軌跡を日々眺められるのも部顧問の特権かもしれません。
 
 さて、来年(令和2年)はどんな年になるのでしょうか?
 年明け最初の部活動の時に「新年の誓い・目標を各自発表できるように!」と部員に伝えて部活動を終了しました。さてどんな誓いを立ててきてくるのか…。

 ことあと私は令和最後の忘年会となります(しかも泊りです)。中の良い4人組で一晩酒を飲みながら語り合いたいと思います。

堺市の定時制校教員が余った給食を持ち帰った件の処分について賛否両論!

 すでにご存じの方もいると思いますが、何とも珍しい事件? が定時制高校で起こりました。
 定時制高校の教員が、生徒の給食(補食)の余ったパンと牛乳を4年間にわたって持ち帰り、家族で食べていたというのです。
 本日の楽天ニュースの記事はコチラ☟

余った給食持ち帰ってた教師に減給処分!毎日のようにパンと牛乳「捨てるのもったいなかったから」


 
 さて、関連記事を検索しますと、この教員の処分(3カ月の減給処分、持ち帰った給食相当の31万円の返還)に関して賛否両論渦巻いているようです。
 もちろん人によって視点・考え方は違いますので、処分に賛否があるのは当然ではあります。

 ただ私はこの件に関しては、教員の行為や処分の賛否よりも、むしろ以下の2点を問題視しています。

① そもそも全国版のニュースで取り上げるレベルの事件なのか疑問(マスコミの恣意的報道)
② 定時制高校生の実態を踏まえていない給食補助金制度の継続

 まず①についてですが、ネット記事やSNSの意見にもあるように、窃盗どころか占有離脱物横領でもない「廃棄物の処理方法・手続きのミス」ですから、問題はあるにしても全国版に掲載するようなレベルの事件ではないはずです。
 推測ではありますが、教員の不祥事が注目を集めやすいことと、いかにも世間が興味を持ちそうな珍しい事件だったことが、影響しているのではないでしょうか。
 
 ②についてですが、定時制の生徒は経済的に困窮している割合が高いことや、昼間仕事をしていれば授業前に夕食の時間をとりにくいことなどから、給食(夜食)の提供や補助の必要性はわかります。
 しかし堺市のケースからもわかるように、今の生徒達はたとえ給食を食べる時間があったとしても、食べないような生徒はかなりふえていると思われます。
 給食補助金の使い方を工夫している自治体もあるので一概には言えませんが、この堺市の場合は、非効率なパン・牛乳全員支給をすることで、かなり予算の無駄遣いになっているといえるのではないでしょうか。
 例えば、
ア.予め希望した生徒にだけ給食(パン等)を渡すようにして、受け取る生徒には廃棄等も含めて責任を負わせる
イ. 学校が受け取る給食補助金を別の生徒諸経費等に補填する
ウ. 学校が受け取る給食補助金を全在籍数で均等割りして、授業料や諸会費から減額する

 つまり補助金の無駄をなくし、パンや牛乳が大量に残る状況が改善されれば、今後このような事件も発生しにくくなるはずです。
 この教員の行いは、法・条例に照らし合わせれば確かに違反行為ですが、だからと言ってもともと廃棄されていたはずのパンの代金(31万円)まで教員に払わせるのは整合性がありませんし、むしろこの摘発によって、本来は入るはずのない31万円により市は得をしたことにもなります。

 ただ、もしマスコミが上記②の給食補助金制度の問題点を白日の下にさらすために、意図的に地方紙のベタ記事レベルの事件を取上げたのだとしたら、その企画をした記者はひじょうに有能だと思いますが…。

人生に運はつきものだが、運は受け止め方でも変わる!

 今回は日常生活に関わる話です。
 タイトルのように人生においては、様々な年齢や場面において、運がついて回ることを特に年長者の方は実感されていることと思います。
 どんなにまじめに精いっぱい努力しても受験・仕事などがうまくいかなかったこともあれば、全く期待せず無理だと考えていたことがすんなりうまくいってしまったこともけっこうあったのではないでしょうか。

 皆さんはご自分を運の良い人間だと思いますか、それとも悪い人間だと思いますか?
 
 私は自分で言うのもなんですが、運の良い方の人間だと思っています。
 実際に自分の人生を振り返ってみて、受験・就職はほぼ希望が叶いましたし、公立高校教員時代は確かに綱渡り人生ではありましたが、クビにもならず何とか定年(正確には1年前ですが)までたどり着けましたから、運は良かったといえるでしょう。

 もちろん、大学受験や教員採用試験では合格の確率を上げる努力や工夫はしましたし、公立校在職中大事件や学校危機に遭遇した時は、経験則による判断力・行動力が成功につながった面は否めません。
 こうした人生を左右するような重大局面では、確かに努力・集中力・判断力・発想力などが成功要因にはなるでしょうが、それで100%成功するわけではないことも、これまでの人生が証明しています。

 また、少し非科学的かもしれませんが、古くから「心掛けを良くしていれば運もむいてくる」との言い伝えもあり、日々人にやさしく誠実に生きることで、幸運が訪れたという話も時々耳にすることはあります。

 しかしこちらも確実に成功・幸運につながるわけでもなく、多くの方がこれまで失敗・不運・不幸を繰り返しているのが世の中の現実だと思います。

 そこで和田流の発想法なのですが、以前ブログで取り上げた「悪いことが起こっても「最悪の事態(免職や死亡等)でなくてよかった!」を再度紹介します。
 どうせ人生何度も不運・失敗に遭遇することが避けられないのなら、「これは不運でない!」「失敗は成功のもと」と、考える発想の転換が必要になると思うのです。

 実はつい最近、私は車のドアミラーカバー(前半分)を落とすというアクシデント(不運)を体験しました。
 詳細は省きますが、私は小道に迷い込み塀にドアミラが接触した時にミラーカバーを落としたのですが、そのことに7時間も気づかず、学校から帰宅後慌てて現場に探しにいき、幸運にも発見することができたのです。

このアクシデントに関して、運不運の想定されるパターンを記してみます。

ア.不運
  ① 焦って小道に入り込んだこと  ② ドアミラーを接触させてしまったこと ③ ミラーカバーを落とし、そのことに約7時間も気付かなかったこと
  ①~③により、④ミラーカバーがなくなる(持ち去られる、捨てられる) ⑤ミラーカバーが壊される(車・自転車等に踏まれる)
 という悪い事態が想定されます。

イ.幸運
 ⑥ 長時間気付かなかったことで、かえって授業中にストレスや不安を感じずに済んだ
 ⑦ 上記④・⑤はなく、原形のまますぐに発見できた
 ⑧ 自力で修復(はめ込み)できた

ウ.最悪の事態(車が動かなくなる、一括で払えない修理費発生等)でなく良かったと考える発想
 ⑨ 壊れていたり、見つからなかったら、ディ―ラーに電話すればいい
 ⑩ 新しいパーツが届くまで、ミラーに黒ポリ袋でもかぶせれば雨は防げる
 ⑪ 部品交換であっても、バンパー・ボディをへこますよりは安いはず

 現実は⑨~⑪すらなく、わずかな擦り傷だけで済んだわけですから、本来は不運であったはずのアクシデントが、私には「最高の幸運に恵まれた」と思えたのです。
 そんなわけで私はまた運の良さ(神様?)に感謝した次第です。
 このようにちょっと発想を変えるだけで、日常のストレスも減り精神的に健康な生活が送れるのではないでしょうか。


教員採用試験倍率低下で考えなければならないこと

 各社報道によれば、近年教員採用試験の倍率は下がり続けており、特に小学校教員は全国平均2.8倍まで下降したということです。中でも新潟県は1.2倍まで下がり、大半の受験者が合格できる状況です。

 倍率が3倍を切るとその職業集団の質を維持できないという通説(客観的な根拠には欠けるが)もあり、関係者・部外者を問わず多くの国民が学校教育に不安を抱く事態となっています。

 確かに倍率の低下により、受験生・合格者全体の質が落ちる可能性は十分考えられますが、教員の質の低下原因を、倍率という数字上の問題だけで考えるのは危険といえます。

 教員の質の低下をもたらすと思われる根源的な問題について、妹尾氏(学校業務改善アドバイザー)のヤフーニュース(共同通信)に寄稿した記事が、かなり的を得ていると思われますのでそれを転載します。☟

教員採用、倍率低下だけが問題ではない ― 本当に心配な3つの問題


 文科省はこの件で自己保身的なみっともない言い訳をしていますが、グラフを見れば、平成元~15年よりも今の受験者数が多いことは事実です。ただ、直近の数年で受験者は減り続けていますし、現在は売り手市場のため、就職率(就職者数)そのものが上昇している状況も考慮する必要があります。
 別の新聞記事によれば、国立の教員養成大学・学部の昨年度の教員就職率は0.5ポイント下がっていますから、やはり教員の人気は下がっているようで、絶対数を見るだけでは全体像はつかめません。

 教員志望の絶対数がさほど減らない中で質の低下が起こっているのだとしたら、それは教師の仕事に魅力がなくなり、優秀な学生が他の職業に流れているということになります。
 優秀な学生(卒業生)にも、①学力・教養・知識があるタイプ と、②子供たちを教えることが好きな情熱的タイプ という二通りがあります。
 教員採用人数が変わらないか増えているとすれば、①.②のタイプが減った代わりに、③学力・教養・知識に乏しいタイプ や、④生計を立てるためと割り切って仕事をするサラリーマンタイプ が増えたということを意味します。

 では教師という職業に魅力がなくなる原因がどこにあるかといえば、妹尾氏も指摘していますが、
ア、過労死レベルの超過勤務(非効率な働き方と、教員の業務・雑務の拡大)  イ.文科省(教育委員会)からの一方的な上意下達(頻繁ないじめをはじめとする調査・集計、法制化と強制的指導)→本来業務(授業や生活指導等)が後回し→アの増加につながる  ウ.マスコミによる事件(トラブル)摘発や、保護者・関係者からのクレーム・要求によるプレッシャー・ストレスの増大

の3つが主な要因と考えられます。

 ですから妹尾も述べているように、教員採用試験の倍率低下に右往左往する前に、まず上記のア~ウの改善策を迅速に実施していくべきであり、またそうしなければ受験倍率低下の根本的な解決にはならないということです。
 以前から私も述べている「真の教員働き方改革」を実現することにより、子供たちが教師の仕事にやりがいや魅力を感じ、それが結果的に教員採用試験倍率を高めることにつながるのではないでしょうか。

なぜ暴力をふるう小学生や叱責に耐えられない若手社員が増えているのか?

 昨日(22日)のデイリー新潮の記事は、正直教師としても個人としても励みになる内容でした。
 早速記事を紹介します。☟
 

「暴れる小学生」「叱責に耐えられない若手社員」急増の裏に「ほめる子育て」



この記事中に登場する榎本先生ですが、私の過去ブログを読まれた方は覚えているのではないでしょうか?
過去記事☟

逆説的な教育論「ほめると子供はダメになる}を紹介!



 また、記事の文頭にある、国(厚労省)による「親の体罰禁止」法制化に対する批判は、やはり私が過去ブログで疑問を呈した内容とほぼ一致します。記事はコチラです☟

厚労省の体罰指針案提示が暗示するもの



 つまり今回の記事が励みになったのは、私が言いたかったことが凝縮された内容であり、それを全国版の雑誌(マスコミ)が取り上げていたことです(まだまだマスコミも捨てたものではない?)。
 現代の日本社会は、子供の気持ちや立場を最優先する風潮にあり、褒めることの必要性が強調されています。
 しかしながら記事にもあるように、幼少期~青年期に家庭・学校・地域で大事にされ過ぎて育った子供達が、社会の荒海に投げ出されたとたん、上司・同僚や客・取引先などから、それまで経験したことのない想像を絶するプレッシャーを受けるわけですから、耐えられない若者が増えていくのも当然といえます。

 確かに、いじめ、パワハラ、モラハラが悪いことには違いありませんが、損得・生活が関わるようなシビアな人間関係においては、大なり小なり自分の身に降りかかることを予測しておかなければならないのです。
 
 子供の人権に過敏になるあまり、社会制度も周りの大人たち(保護者、先生、近隣住民等)も、子供たちに対し「転ばぬ先の杖」になりすぎていないでしょうか? 
 また国は、現実を無視した実効性に乏しい上から目線の法制化に走っていないでしょうか?
 
 以前から述べていますが、困難・障害に打ち勝つ力、自ら考え解決する力を子供たちに身に着けさせることが教育の根幹だと思ってます。
 こうして自己解決力を身に着け物心両面で自立した人間こそ、「一人前の社会人」と呼べるのではないでしょうか?
 

各種スポーツの勝敗の納得度は?

 ご自分がスポーツをやるわけではなくても、試合観戦を楽しみ多くの感動を味わうことが、明日への活力となる方もけっこう多いのではないでしょうか?

 私は自分自身で体を動かすことも、スポーツ観戦も大好きな人間です。
 すでにご存じの方もいらっしゃるでしょうが、自分でやるスポーツは、自転車(レースやサイクリング)、野球、スキーなどであり、よく観戦するスポーツは自転車、野球、スキーの他、陸上競技(特にマラソン・駅伝・トラック競技)、スピードスケート、バレーボール、バドミントンなどです。

 スポーツは必ず勝敗がつきものであり、勝つための選手の熱い戦いがファンを感動させるのだと思います。
 ところが残念なことに、得点や判定をめぐって収拾がつかないほどもめてしまう場面を私たちは何度も目にしています。
 人間が直接判定しなくてはならないスポーツはまだまだ多く、多少誤審や判断ミスが生じるのはやむを得ないことではありますが、実はその発生頻度はスポーツによってかなり異なります。
 
 私の独断と偏見により、誤審や判断ミスの生じやすいスポーツを順にAからランク分けしますと、
A 採点競技(フィギアスケート、体操、新体操、シンクロなど)
B 接触プレーの多い球技・格技(バスケットボール、サッカー、ラグビー、アメフト、剣道、空手、柔道など)
C 接触プレーがないか、少ない球技・個人競技(バレーボール、野球、ソフトボール、テニス、バドミントン、卓球など)
D タイム・着順を競う競技(陸上競技、水泳、自転車、スピードスケート、スキーアルペンなど)

となります。
 だいたいはお分かりと思いますが、Aの採点競技のリスクは、審査委員の選ばれ方や委員の主観が採点・順位に影響をもたらしかねない点です。最近は技術評価(フィギアでいえば四回転をはじめ、具体的なパフォーマンスを点数化)項目が増え、かなり客観的な採点にはなってきましたが、芸術点や表現力を、あらかじめ具体的に数値化しておくことは極めて難しいと思われます。
 Bの接触プレーが多い競技は、どうしても主審のジャッジ力(ある程度の主観)に頼らざるをえませんし、サッカーの場合にはホーム・アウェイという「地の利」もジャッジにつながる可能性すらあります。
 Cは、野球のストライクゾーン・アウトセーフなどや、バレーのドリブル等の判定の問題、テニス・バドミントン・卓球のイン・アウトの問題はありますが、最近はアウトセーフやインアウトはリプレイ検証ができますので誤審はかなりなくなりました。
 Dは誰が先に到達したか、着順やタイムは正確に計測出来ますから、ほぼ誤審や判断ミスはありません。

 私は自転車が好きになったからなのか、逆に勝負の白黒を明確につけるのが好きな性格だったからなのか、どちらが先か自分でもよくわかりませんが、結果的にDランクの自転車競技、陸上、スピードスケート、スキーや、Cランクの野球・ソフト、バレーボール、バドミントンが好きなのです。不思議ですね。

 ただ、私は採点競技がスポーツらしくないといっているわけではなく、あくまで私の好み・志向の問題です。皆さんもそれぞれの性格・志向・体験・憧れ選手の存在などによって、好きな種目は十人十色なのではないでしょうか?
 私のつたない分類でも参考にして一度気楽にランク分けでもしてみると、思わぬご自分の特質・性格・志向が明らかになるかもしれませんよ。

飲み会の幹事って結構やりがいがある!

 今日は高校3年時の同級生6名の忘年会でした。
 以前のブログにも同級生の記事を書いたことがあったので詳細は省きますが、私が32歳で郷里に戻った時同級生に声をかけたのですが、自分達だけの飲み会だけではなく、バーベキューやスキーなど、私が言い出しっぺになり、奥さまやお子さんを加えた交流会を毎年のように行ってきました。
 さすがに初老? となった現在は男連中だけの年2回の飲み会となりましたが、3,4年に1回は泊りの旅行も行っています。

 他にも、私は20年ほど前のスペイン研修で一緒だった教員仲間を集め、地元スペイン料理店での会食会を毎年の恒例として年末に実施してきました。
 また、少人数での親友間での飲み会でも、私は幹事をすることが結構多いかもしれません。

 妻も幹事をすることが時々あるため、ある時二人で幹事の不満を吐き出しあったこともあったのですが、それは
① メンバーが幹事に頼り切って、自分から飲み会や旅行のセッティングをしようとしない。
② 直前になって参加できないとドタキャンする人がいる
③ 自分が何もしていないのに、企画や行程などに文句を言う

ということでした。
 確かに幹事の苦労というものは、自分が実際にやってみないとわからないかもしれず、まさに「幹事の心メンバー知らず!」なのかもしれません。

 それでもこの年齢になりますと、これまで幹事をやってきてよかったと思えることが多くなったのです。
 その理由は以下の通りです。
 ① 自分が同僚や友人をまとめてきたことで信頼され、長く付き合える仲間が増える
 ② 加齢とともにかつて面倒を見た後輩などから誘われるようになっていく
 ③ ドタキャン・急な計画変更などの苦い経験することにより、ルール遵守の意識や忍耐力が養われる

 個々の場面においては幹事は大変なことが多く損な役回りでしょうが、マクロな視点に立てば、幹事として組織やグループに貢献したことは、今後自分の人生のプラスになることも多く、決して無駄ではないということです。

 この後、私は25日、27日、28日(これが最後です)の忘年会すべての幹事ですが、受動的ではあっても楽しみにしてくれているメンバーが多く、やりがいを感じています。
 私は令和最初の年越しを、気が置ける仲間と十分に楽しむつもりです。皆さんもぜひ楽しい忘年会となりますように!

プロフィール

わだしん

Author:わだしん
和田慎市です。公立高校退職後、私立高校で講師をしています。教鞭をとるかたわら、教師人生で学んだノウハウを多くの方に活かしてもらおうと、執筆・講演活動を行っています。H29年末に第三作「いじめの正体」(共栄書房)を出版しました。最近はアゴラ‐言論プラットフォーム‐に時々投稿しています。ご意見・情報交換はこちらへお願いします。なお、詳しいプロフィールはこちらから。

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