京都祇園、「私道での写真撮影罰金1万円!」の意味するもの

 「外国人観光客には来てほしくない!」 
 ショッキングなタイトルのネット記事が目に留まりました。記事の京都祇園南側地区は一般商業地区であり、観光客相手のお店はないという状況です。
 ところが以前から問題になっていたのですが、主に外国人観光客が舞妓さん見たさに殺到し、道路をふさぎ無断で写真撮影をするなどの迷惑行為が後を絶たないそうです。撮影禁止の看板を設置してもほとんど効果がなかったため、「罰金1万円!」の看板を立てたとのことです。記事はコチラです。☟

「外国人観光客には来てほしくない」京都・祇園の“私道での無許可撮影は1万円”…看板設置した地元のホンネ


 まさに「オーバーツーリズム」ですね。祇園町南側地区協議会の方々のご苦労が目に浮かぶようです。
 記事にもありますように、看板警告だけで本当に罰金1万円を徴収するつもりはないようですが、果たしてどこまで抑止効果となるのか……。
 外国人(日本人も同じでしょうが)観光客を地区内に入れさせないために、自治体や警察と連携し、法的な手続きを取り「部外者進入禁止区域」を設定したうえで、警察と警備員が定期的に巡回、違反者を直ちに退去させるくらいまでしないと実質的な効果は望めないかもしれません。ただしそこまですると軋轢が生じるかもしれませんので、強行する場合には市が主導して行う必要がありそうです。

 私は以前から、観光客誘致の数値(人数)目標ばかりを強調する政府・自治体の観光政策に疑問を投げかけてきました。お読みになった方もいると思いますが、改めて2本の記事をリンクします。☟

「観光亡国論」(アレックス・カー著)を読んで


インバウンドは日本人を本当に幸せにするのか?



 私が②の記事で取り上げた「日本全国インバウンド音頭」は、まさに日本の”観光亡国”を警告してくれていると思うのです。
 また②記事の最後の2段(約10行)で書いていたことが、まさに今回祇園で起こっているのです。そして同様のトラブルは全国の観光地でも起きる、いやすでに起きつつあると言った方が良いのかもしれません。
 外国人との交流も、日本文化を知ってもらうことも大切ですが、まずその前提として、私たち日本人が健康で安心安全な、豊かな暮らしが築けていなければ元も子もないのではないでしょうか。

東京オリンピック(マラソン・競歩)はどうなることやら

 東京オリンピックのマラソン・競歩の開催場所をめぐって紛糾が続いています。本日(30日)IOCとオリンピック組織委員会・東京都との調整委員会が行われていますが、いったいどのような結論になるのでしょうか?
 このことはNHKもかなり詳しく取り上げていますので、まずはその記事をご覧ください☟

IOC調整委始まる マラソン・競歩の札幌開催案を議論


これまで東京での開催に相当準備してきた経緯からすれば、東京都(小池知事)が納得できないのももっともな話でしょう。
 またこの出来事は、現在のIOC(国際オリンピック委員会)という組織が、いかに多くの問題をはらんでいるかを如実に示しているのではないでしょうか。

 そもそも莫大な放映権料を得るため、アメリカのテレビ局等の都合を優先し、北半球が酷暑になりやすい7~8月の開催を打ち出したのは誰あろうIOCです。開催地を選ぶ際、東京の夏がかなり暑いことは重々わかっていたはずなのに、それでもIOC委員は東京を選んだのです。
 それを世界陸上ドーハ大会で途中棄権が続出したからと言って、IOCがいまさら急に会場変更するのは、アスリートファーストというよりも、参加辞退選手の増加や参加選手の熱中症等の発生によるオリンピックへのダメージ、さらにはその責任問題を恐れているからではないでしょうか。
 JOC・東京都に実質的運営を任せておきながら、唐突に一方的に会場の変更を提案(決定)できてしまうのは、IOCが相当な権限を握っていることの裏返しでしょう。
  絶大な権限を持つIOC委員に対しては、これまでにも賄賂が流れているという噂が絶えません。
 
 東京都・組織委員会の立場から見れば、すでにマラソン対策に何百億もの大金を投下しており、これがすべて水の泡となるわけですから東京都の怒りは十分理解できます。

 一方、開催する日本側も、運営費用の増大(8千億→3兆円に拡大)や、木材の大量使用(環境破壊の問題)、ボランティア酷使の危険など、様々な問題を抱えていますから、このもめ事を契機として、根本からオリンピックの在り方そのものをぜひ検証してほしいと私は思います。

 繰り返しますが、そもそもオリンピックを一大商業イベントにしてしまったこと、そのため大口顧客(スポンサー)の意向で開催時期(7~8月)を決定したことに根本的な問題があると思います。

 このままではオリンピックはアスリートの健康・コンディションが二の次となり、開催国・都市の負担は増すばかりで(東京後立候補した都市は2つだけだったので、2024年、2028年は自動的に決定)、その負担の多くは、結局国民・市民が税金等で負担することになるでしょう。

 東京オリンピックといいながら、開催都市の意向とこれまでの負担を無視し、遠く離れた都市での競技開催を一方的に決めようとするIOCの横暴ぶりには怖さすら感じます。世界のアスリートや市民が声を上げることで、今のオリンピックの形態を大改変していく必要があるのではないでしょうか。

通販における販売側のリスク

 今回は日常生活に関する話題です。
 私は結構ネット通販を利用する方でして、電化製品、書籍、自転車用品などを定期的に購入しています。多くは〇天市場やヤ〇-ショッピング、ア〇ゾンで買い物をしていますが、さすがにオークション形式はリスクがあるので年2~3回利用する程度です。
 そのオークションでは高額な商品はめったに購入しないのですが、自転車については中古のロードバイクが新車と比べればはるかに安いこともあり、これまで何度かヤ〇オクで購入したことがあります。
 以前ブログで書いたトレックではなく、7~8年前の購入時の話なのですが、全国的に有名な(信頼のおける)中古販売店の出展だったこともあり、私は中古のロードバイクを確か12~13万円で購入したと思います。落札の数時間後にはクレジット決済で一括払いをしたのですが、そのあと販売店から送られてきた評価メールが強く印象に残っているのです。確か、
「迅速な支払いありがとうございます! まれにみる極めて信頼のおけるお客様です!」
というような文面だったと思います。
 私は当たり前の手続き(支払い)だと思っていたので少々違和感があったのですが、どうもネットオークションでは出店者側だけでなく、落札者側にもかなり問題があるということを知ったのです。
「落札しても連絡しない」「ドタキャンする」「支払いのやりとりがスムーズにできない」「なかなか支払ってくれない」
などといったルール違反が日常茶飯事で起きているようなのです。

 そんなことを思い出させるような「代引き」の問題を扱ったネット記事が本日目に留まりました。記事はコチラ☟

気が変わった、お金ない…「代引き」で受け取り拒否のトラブル相次ぐ


正直私は唖然としました。顔の見えないネット上のやり取りでは上記のようなルール違反問題は起こりえるでしょうが、商品が実際に自宅に配達され、業者と面と向かって顔を合わせているのにドタキャンするというのは理解不能です。
 特に記事にあるような賞味期限のある食料品の場合、販売店側は大損となってしまいます。
 
 防止策として例えば、事前に利用者登録をしなければ代引き購入できないようにする、断られた宅配業者が即座に販売店に連絡する、受け取り(支払い)拒否の場合には警察に情報提供する旨を事前に消費者に提示するなどといった対策を販売店側は講じるべきでしょう。

 今回直接関係はないのですが、もちろん良識ある消費者の方でも、逆に悪徳業者に騙されないための防衛策をきちんととっておく必要があるのは言うまでもありません。
 相手の良識を疑わなければならない何とも嫌な世の中(ネット社会)になったものですね。

ノーベル賞についてふと思うこと

 近年日本では、日本人がノーベル賞を受賞することに一喜一憂し、マスコミ報道も過熱化しています。
 もちろん、ノーベル賞が世界的に権威のある賞であることには、誰もが異論のないところでしょう。
 ただ、世の中を斜め45度から見てしまう和田としては、少々気になることがあるのです。もちろん各分野で受賞された方の実績はすばらしく、受賞者個人を批判するというわけではありません。

 私が気になるのは賞の設定(特に平和賞)自体の問題と、あまりにも権威化神格化され過ぎた(特に日本人はそうである)「ノーベル賞財団」という組織についてです。
 ノーベル賞(財団)を無意識に肯定的に受け止めている市民はかなり多いと思います。今回あえて「クリティカルシンキング(批判的思考)」的に、2つの記事を紹介しますので、今一度皆さんも頭をまっさらにして読んでいただければと思います。
記事1☟

平和賞授賞の首相に抗議 エチオピアでデモ、67人死亡


記事2☟

ノーベル賞無視のボブ・ディランと「一流トレーダー」の意外な共通点=矢口新



簡潔に私の意見・疑問を述べます。
記事1はつい最近ノーベル平和賞を受賞したばかりのアビー首相が、まさに統治する国エチオピアで暴動が発生したという皮肉な事実です。
 もちろんこの記事だけでは事実の詳細はわかりませんし、現時点でアビー首相を批判するつもりもありません。
 私が言いたいことは「ノーベル平和賞」は科学分野と違い、「平和」という抽象的な尺度で受賞判断するために、客観的な判断が難しいということです。
 これまでの例を見ても知名度のある政治家や政治団体がかなり受賞しているように、どうしても政治や思想が絡みやすく、絶対的価値基準が定められない賞だと思うのです。ですから、ある国や団体は受賞を大絶賛するが、別の国や団体は大批判するといったことが当然起こりえます。
 つまり全世界が納得する平和賞受賞は難しいのではないかということです。ですから私個人としては、ノーベル平和賞は政治的要素、支援団体等の思想信条・影響力など、権力というものをすべて取り除けない限り、廃止した方が良いのではないかと思うのです。

 記事2は、一昨年話題になりましたボブディラン氏の去就に関してのもの(最後の段落は直接関係はありません)です。
 確かにノーベル賞の選考過程が事前に漏れては大変ですから、密室で行われるのはわかりますが、ノーベル賞が神格化されることで、記事が指摘するような財団の恣意的、権威主義的ともとれる言動は起こりうると思うのです。
 私が心配するのは、日本だけでなく全世界が「ノーベル賞」をこの世で最高に崇高なものとあがめ、受賞できるかどうかに一喜一憂するというように、受賞そのものが目的化してしまうことです。
 記事2にもありますように科学者でも受賞の受け止め方は様々です。マスコミや国・市民が大騒ぎし、受賞結果を性急に求めすぎることで科学者・研究者を惑わせるようなことがあってはならず、ぜひ政府・国連には、国益にこだわらず人類のために長いスパンでじっくり腰を落ち着けた研究ができるような環境・資金を提供していただきたいと私は思います。

 「和田さんは取越し苦労だよ、考えすぎだよ!」と思われるかもしれませんが、私なりにノーベル賞について前向きに一石を投じたつもりです。皆さんはどのようにお考えでしょうか?

本当に「大学共通テスト」を導入して大丈夫か?

 2021年から実施予定の「大学共通テスト」に関する混乱がいまだに続き、受験生、保護者、高校の不安(不満?)は募るばかりです。
 英語の民間検定試験導入や記述試験導入などに関し、すでに様々な問題点が指摘されていますが、私も以前(6月)にアゴラ‐言論プラットフォーム‐に、記述試験導入についての問題を指摘する記事を投稿しています。記事はコチラ☟

大学共通テスト、記述式を導入して本当にいいのか? --- 和田 慎市



 最近も英語民間検定試験などで、日程・申し込み方法や経済負担の公平性(地域・所得格差の問題等)などの問題をめぐり紛糾しています。そんな折、2日前(25日)に現役高校生の意見(インタビュー)記事が AERAに掲載されました。記事はコチラです☟

筑駒生、大学入学共通テスト中止を訴える 「ぼくたちに入試を受けさせてください」


 私が教師(学校)の立場で問題点を指摘したことより、一番の当事者である高校生の意見はさらに重みがあります。 しかも読んでみますと、高校生が述べていることはどれも的を得ていて、共通テスト(文科省)の問題点を見事に指摘しています。

 私は「いじめ防止対策推進法」関連の記事でも以前指摘しましたが、文科省は教育行政の頂点に立ち権限を握っているおごりからなのか、まるで「日本の教育は文科省が考えて法律や施策を決めるから、みんな黙って安心してそれに従ってくれ!」と言っているようです。
 
 この高校生のコメントの最後の部分、「大学入試はどうあるべきか?}という質問に対し、
「入試は大学が入学してほしい学生を選抜するために考えるものです。それを国が見繕って第三者に作らせた試験で試そうとする。これは大学の受験生選抜の意志に反していませんか。」
と発した言葉を文科省は厳粛に受け止めるべきです。
 文科省は指導要領の改訂等でもそうであるように、改定ありきでスケジュールを絶対変更しません。こういうやり方を改め、もっと受験生や学校の声に耳を傾けるべきであり、少なくともこれほど問題を抱え、大幅な改善が見通せない大学共通テスト2021年の実施は中止すべきではないでしょうか。

  

わだしんブログについての雑感

 ブログをはじめてちょうど2年になります。始めるにあたって、
「そもそも全く未知の取組で、技術的にもツールを使いこなせるだろうか?」
「内容等、果たして定期的に書き続けられるだろうか?」
「情報発信ツールとして世間に認められるだろうか?」

といった不安が大きかったことをよく覚えています。それでも、あるフリーライターのブログの「内容どうこうよりもまず毎日書き続けることが大事である」という言葉に後押しされ、思い切ってブログをはじめたのです。
 始めたばかりの頃は文章が短いだけでなく、書き方が平板(原稿用紙に詰めて書いているだけのよう)で、引用記事に簡単にリンクさせることもできませんでした。また、ネットの世界で活躍する知人が特にいたわけでもありませんので、ブログの閲覧者は1日1~5人で、月延べ約100人が訪問してくれる程度だったと思います。
 しかし、多少負担・プレッシャーを感じながら、1カ月余り頑張ってほぼ毎日ブログを書いていましたら、学習習慣と同じく毎日書くのが当たり前に感じるようになり、日課として定着していったのです。
 そして、1年を過ぎたころには、講演会やネット記事の投稿、フェイスブックとのリンクなどによる情報発信の効果もあり、訪問してくれる方がかなり増えました。また、半年ほど前には息子に引用記事にリンクする方法を教えてもらい、記事の書き方も柔軟になったことも技術的な進歩でした。
 おかげさまで、ここ数カ月は月間延べアクセス数は千件以上が続いています。ただ数が増えるだけに一喜一憂してはいけませんが、ブログを書く励みになっていることは事実です。

 そんな折、私が時々投稿させていただいているアゴラ‐言論プラットフォーム‐に、黒坂氏がブログそのものに関連した記事を投稿していました。記事はコチラです。☟

批判コメントで傷ついた心にオススメの治療法


 主にブログ記事批判についての分析と対処について述べていますが、ほとんど納得できる内容でした。
 ただ、私自身のブログに対する考え方は少々異なります。私は教育問題社会問題の話題を中心に、わずかでも何かの参考やきっかけになればとの思いから、世の中に情報発信していくツールとしてブログを利用しています。
 ブログでも双方向の会話は結構行われていますが、特に教育問題ともなると人の考え方は千差万別で、ご自分の持論・信念が色濃く反映しやすいテーマであり、お互い議論が並行線となることが結構多いのです(私のこれまでの経験から)。
 なおさら顔も個人情報(名前、年齢、職業、メールアドレス等)もわからない相手とのやり取りは、失礼ながら不毛な議論に陥りやすいリスクがあります。匿名等で個人情報を明かさない安全な立ち位置から、感情的に批判してくる相手と冷静に議論することは極めて難しいのではないでしょうか?
 私はコメントを頂ければ返事をするのが礼儀と考える人間ですので、どんなに批判的高圧的なコメントでも返信するかもしれません。ところがそれに対して相手がまた批判してきて……。無視したところで何度もコメントを送りつけてくる可能性もありますから永遠に終わりがありません。不毛な議論が続きお互いに時間の無駄となります。
 
 もし、私の意見に賛同の表明や建設的な提言・忠告等をしたければ、私はブログで実名(ペンネームではありますが)、写真、簡単な個人情報を明らかにしHPも開設していますので、直接メール連絡することはいつでもできます。
 自分の身を明らかにすれば、どんな発言にも責任を負うことを意識せざるをえませんから、相手の立場を考えながら冷静に議論することが可能だと思うのです。
 
 私のブログを定期的に読んでいただいている方は、おそらく教育関係者、学生、保護者、教育問題に関心の強い市民が多いと思いますが、少なくとも考えが近い方か、違う考えであっても視野を広げたり何かの参考にしたいと前向きに考える方だと思います。
 
 私はもう少しこの一方通行のブログを続けるつもりですので、何かご意見・ご助言等ありましたらメール等を通してお寄せいただければ幸いです。その中でブログの在り方についてもコミュニケーション方法等改善すべき点があれば、前向きに検討したいと思います。
 これからもブログ等の意見・情報発信の自己責任を忘れることなく書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

教員いじめ首謀者への懲罰感情がもたらすマイナス要因

 相変わらず予想された通り、神戸の教員いじめ事件報道はやむ気配がありません。以前にも書きましたように、私自身も加害教員に対して厳正な処罰がなされることに全く異論はありません。
 ただ、気になる動きがあります(これも日本の情緒的社会では想定された動きかもしれませんが…)。
 加害教員が有給休暇を取得する形で自宅待機していることについて、ネット市民などによる「給与の支給停止」「懲戒免職」の要求がエスカレートする事態となっており、世論? におされた市や教委が新たな罰則規定を設ける動きがあるのです。

 市民・保護者の処罰感情が高まるのは当然ですが、日本はれっきとした法治国家です。つまり、どんなに卑劣な行為が行われても、刑法等の法律や条例に規定がされていなければ、後から法律を作って裁くことをしてはならないという「罪刑法定主義」を守る必要があるはずなのです。
 もし事後法の効力を認めてしまえば、それこそ国家権力が恣意的に人や組織を裁くことができるようになってしまうからです。

 ですから現時点で規定がない以上「給与支給停止」はできないということです。現行の公務員法や刑法・民法に照らし、適用可能な最大限の処罰を与えるしかありません。
 冷静に見て、今回の行為(犯罪)の罰則が社会通念上不条理なら、次に同様の事件が起こった時に適用できるように、早急に法改正の手続きを取るしかないのです。
 ただ、例え法律上の罰則が物足りなくても、現代の情報化社会ではたちまち多方面から社会的倫理的な批判・制裁を受け、彼らは精神的に追い詰められることになりますので、再び教壇に立てる可能性は極めて低いでしょう。

 この当事者のことより以前書きましたように、「教員いじめ」関連の過熱報道が繰り返されることで、以下の流れが起こることの方が深刻だと思います。
1.世間による教員バッシングが強まり、全国各地で問題教員の摘発・排斥がエスカレートする
2.現役教員のモチベーションが下がり、退職者が増加する
3.教員同士のいじめ問題が全国的にクローズアップされたことから、マスコミ報道、内部告発が増加する
4.教員の職場環境に失望するなどして教員希望者が減る

 そうしたところ、「熊本県の教員採用試験倍率低下」のネット記事が目に留まりました。記事はコチラです。☟

小学校教諭 落ち込む人気 多忙イメージ、学生ら敬遠 20年度熊本県採用試験 倍率2倍割れ



このままでは、全国的に教員のなり手が減っていく雪崩現象が起こりかねません。
 しかし、アンケート調査では「教師の仕事にやりがいを持ち、子供たちを教えることは楽しいと感じている」と答える現役教員が8割以上いるという結果が出ていますから、大部分の教員は前向きに責任感を持って頑張っているわけです。

 私たちが「将来日本のあるべき姿」を思い描いたときに大事なことは、日本国民の多くが高い教養と人格を身に着けているという土台がなければ、資源の乏しい日本において豊かで安全な暮らしやすい生活を維持するのは難しくなるということです。つまり教育をおろそかにすれば、そのツケは何十年か後に必ず回ってくるのです。

 将来教員になりたい若者が増えるような教育環境・労働条件を整え、意識・資質の高い教員を増やし、高度な教育が子供たちに施されるようにするため、私たち国民は悪者バッシングに留飲を下げるのではなく、建設的な意見・要求・改革を政府や自治体に提言していく必要があるのではないでしょうか。

フリーター(非正規労働者)の過酷な実態

 近年は新卒者の減少に伴い求人倍率の高い「売り手市場」となっており、就職内定率も数字的には確かに上昇しています。
 しかし現実には、人気のある一部大企業は就職希望者が殺到する「買い手市場」となり、人気のない中小企業や土日休みでない個人営業・サービス業は、大幅に人が足らないという「ミスマッチ」が起こっているのが実態です。
 そこに非正規労働者雇用の拡大が重なり、希望企業に就職できなかった学生・大学院生の一定割合が、厳しい家庭環境などからとりあえず生計を立てようとして、焦りの中でやむを得ず「非正規労働」の世界に足を踏み入れています。
 その結果、非正規からなかなか抜け出せない若者(高学歴者も)が増えているという状況については、以前私のブログでも紹介しています。記事はコチラです。☟

「売り手市場」とは呼べない若者の就業状況!



 今回は、その非正規労働者の過酷な生活について、シリーズで紹介しているSPA! の記事の中からインパクトのあるもの2本をリンクします。記事はコチラです。☟

1時間200円のネットカフェに住んで2年目…年収100万・41歳の生活


年収100万円台の衝撃。トランクルーム1畳半に住む40代に聞いた


 私の住むような地方都市では、まだあまり目にしない光景かもしれませんが、大都市圏ではこの人だけの特殊な事情というわけではなく、同じ環境下に置かれている人が、他に何人もいることがルポからもわかります。
 
 私は高額所得者ではありませんが、年金と非常勤講師の収入で妻と2人の生活を保てている身としては、このような過酷な生活環境に実感がわかない中、上っ面の慰めのコメントを発することも無責任ではないかとさえ感じます。

 この過酷さは個人の努力不足で済ませるような状況ではありません。国や経済団体が中心となってやらなければならない施策は、次のように思いつくだけでもたくさんあります。
「非正規労働者の雇用条件の改善や正社員への登用」
「大企業内部留保の労働者への還元(賃金アップ)」
「空き家(住宅・アパート)→公営住宅への再利用(一定収入以下の人は家賃免除)」
「ブラック企業(サービス残業等)の厳罰化」
「定価格競争の鎮静化→例えば最低価格の設定」

 そして私たち消費者も、価格競争が過熱(人件費[賃金]のカットにつながる)しないように、次のような意識改革が必要です。
「価格第一主義から品質・エコ優先主義へ」
「便利さ(大型店、ネット通販でのまとめ買い)を減らし、地産地消・地場産業への比重を増やす」

 詳細な具体策は一朝一夕にはなかなか難しいですが、世界のグローバル化が進み益々経済格差が広がる中、特に政府には早急な労働環境改善策を実施してほしいと思います。

身に着けたい「クリティカルシンキング」

 久しぶりに本の紹介をしたいと思います。
「操られる民主主義ーデジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するかー」(ジェイミー・バートレット著:草思社)
 インパクトのあるタイトルにつられて購入したのですが、翻訳文のためかなり文章が難解なところがあり、読み終えるのに1週間以上かかってしまいました。簡単に紹介します。

 本の帯には、「いつのまにか<私の考え>が誘導されていた? SNSが人々の抑えられた感情を増幅し、ビッグデータが自由な判断を鈍らせ、プラットフォームをもつ企業が独占を拡大、AIが社会の経済格差を拡大していく⁉」
とあり、インターネット社会の暗部が的確に指摘されているように思います。

著者は民主主義を機能させる6本の柱について、次のように述べています。
1.行動的な市民(主体的で警戒を怠らない市民、倫理的判断能力がある)
2.文化の共有(妥協の精神に基づいた民主的な文化)
3.自由選挙(公平で信頼できる選挙制度)
4.利害関係者の平等性(相当数の中間層を含め、自助努力で確保できる平等性)
5.競争経済と市民の自由(干渉を受けない市民社会)
6.政府に対する信頼(政府は国民の意思を遂行し、国民に対し説明責任がある)

この6本の柱(民主主義)がどのように脅かされているのかを、各章で詳しく説明しています。
「監視社会」「部族化する世界」「断絶社会」「独占される世界」等々…

 そして最後に民主主義を救う20のアイデアを述べています。
上記1 に関しては、
① 個人としての意見を持つ  ② 集中力を維持する  ③ 新たなデジタル倫理の確立

上記2 に関しては、
④ (自分の声だけがこだまする)内なる反響室を粉砕せよ
⑤ クリティカルシンキング(批判的思考)  
⑥ アルゴリズム(コンピュータプログラミング等)への査察
⑦ 広告モデルから抜け出す

上記3 に関しては、
⑧ 選挙関連法の改正  ⑨ 選挙の祭典   ⑩ ボット(自動操作プログラム)の撲滅

上記4 に関しては、
⑪ 富の分配を広める  ⑫ ロボット税の導入  ⑬ 新しいセーフティーネットの整備  ⑭ 労働者の権利の保障

上記5 に関しては、
⑮ ネット上の公正な取引  ⑯ 独占禁止への決意  ⑰ 安全な人工知能

上記6 に関しては、
⑱ 透明なリバイアサン(ホッブスが著した絶対的権力を持つ国家)  ⑲ ビットコインの規制  ⑳ 未来の政府

 これだけではとても理解できないと思いますが、まとめ部分にポイントがあります。
「20の提案がいずれも示唆するのは、テクノロジーから政府をどのように守るかということに尽きるだろう。テクノロジーの急速な変化によって、私たちの力は高まり、自由になったし豊かにもなれたが、これはテクノロジーが力強い民主主義システムの支配下にある場合に限られる。このシステムは正当性のほかに、権力を行使できる力を備えているが、同時に国民と公益に対する説明責任を負っているのだ。」
 
 さらに著者の言いたいことが、次の<あとがき>部分に凝縮されています。
「…独占されたテクノロジーによって、民主主義を保持してきた壁は徐々にむしばまれている。格差がますます拡大し、中産階級がなし崩し的に姿を消している。主権と市民社会が衰え、国民は判断能力とともに自由意志さえ失いつつあると本書では指摘されている。そして、テクノロジーを足掛かりに、経済・政治・文化でも”独占”は着実に進んでいるのが現状だ。
 猛々しい資本主義の下、これまでも独占は繰り返されてきたが、今回の独占が過去の例と異なるのは、国民がものを言おうにも、その発言の場であるプラットフォームが独占企業に支配されている点だ。技術を持ち、プラットフォームを持つ者(GAFA等)が圧倒的な独り勝ちを果たせる独占なのである。…」

 かなり難しく重いテーマですが、特にインターネット、SNSを利用する方は、思い当たるところがあるのではないでしょうか。私は著者の指摘について、将来避けて通れない問題と考えます。
 
 ところで20のアイデア中の⑤クリティカルシンキング(批判的思考)ですが、単純に否定・反対するという考え方ではなく、議論の前提条件が「本当に正しいのか?」と疑問をもって考えを深め、課題を解決していく思考作業のことです。
 現代人が生きていくうえでぜひ身に着けたい大事なスキルだと思いますので、これについては私ももう少し勉強したうえで、後日ブログで紹介したいと思います。

東京の災害リスクを考えてみる

 明日(22日)またもや台風(→温帯低気圧)が東海~関東方面を通過するといいます。特に浸水危険地区や河川沿いにお住いの方は用心して早めの対応を心掛けていただきたいと思います。
 さて、少し前にブログで「江戸川区の水害ハザードマップ」を紹介したことがありました。確かに水害に関しては江戸川区が最も危険性が高いと思いますが、災害発生要因はまさに多種多様です。
 私は個人的に東京の大災害発生を危惧しているのですが、どうして東京の災害リスクが高いと思うのか、大雑把ではありますが指摘させていただきます。
まず、その前に元東京都知事舛添氏の投稿記事をご覧ください。☟

大災害はまた来る、異常気象を織り込んだ政策形成を インフラ、避難ルート、イベント開催、全てを根本から見直すべき


 いかがでしょうか? 私が考えられる東京の災害要因・被害としては、
① 台風の襲来…強風・豪雨・高潮など→発生する災害:堤防決壊・浸水・洪水、建物や樹木・橋の倒壊・損壊、土砂崩れ・                            地滑り・土石流、ライフライン寸断(交通機関、電気・ガス・水道)、地下鉄・地下街浸水、
                         飲食料の不足、集落孤立など
② 直下型地震…建造物・地面の揺れ、火災、断層・地割れ、液状化、地盤沈下、津波
           →発生する災害:堤防決壊・浸水、建物や樹木・橋・道路等の倒壊・損壊、地滑り・土砂崩れ、火事・ガス爆発、
            ライフライン寸断(交通機関、電気・ガス・水道)、飲食料の不足など
③ 集中豪雨・ゲリラ豪雨→発生する災害(①とほぼ同様)
④ その他の災害…竜巻・突風、豪雪、猛暑(ヒートアイランド現象が暑さを増幅:熱中症、電力不足)
☆ その他の東京のリスク
 ⑤ 先進国では最高レベルの過剰な人口密度(災害発生時の交通機関寸断→避難や移動の困難)
 ⑥ タワーマンションの乱立(特に湾岸地区)(地震時のリスク、電気・水道の脆弱さ)
 ⑦ 政治・経済機能の極端な一極集中(大規模災害発生時に指揮系統や経済活動がマヒ)
 ⑧ テロの発生(現状で可能性は高くないが、イベント時[オリンピック等]にはリスクが高まる)

 思いつくままあげてみました。例えば先進国の大都市ニューヨークやロンドンは、上記①・②は全くありませんし、③もかなり頻度は低いです。ニューヨークは豪雪の可能性はありますが、ニューヨークもロンドンも猛暑の頻度は低くなります。
 ニューヨークは⑥に類する高層建築は多いですが、①・②のリスクがありませんし、⑦政治機能は離れたワシントンD.Cにあります。⑧のテロ対策(情報収集、入国チェック、不審者の把握等)についてもニューヨーク。ロンドンのほうが先を行っています。

 首都圏に住まれている方を脅かすつもりはありませんが、やはり政治機能移転や研究機関、大企業本社、大学等の地方分散を早急に行い、日本国家としてのリスクを下げる必要があると思います。実際に政府が誘致することで、地方都市に魅力ある仕事・職場が増えれば、市民の移住の流れもスムーズになると思います。
 
 取越し苦労であればいいですが、私は東京の現状が上記のように心配なため、ブログに書かせていただきました。

プロフィール

わだしん

Author:わだしん
和田慎市です。公立高校退職後、私立高校で講師をしています。教鞭をとるかたわら、教師人生で学んだノウハウを多くの方に活かしてもらおうと、執筆・講演活動を行っています。H29年末に第三作「いじめの正体」(共栄書房)を出版しました。最近はアゴラ‐言論プラットフォーム‐に時々投稿しています。ご意見・情報交換はこちらへお願いします。なお、詳しいプロフィールはこちらから。

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