教育(人間関係)における数の論理

 前回は事実とは異なる訴え・SNS拡散とそれに伴う報道に対する学校側の対抗策を述べました。
 今日は学校現場の教師が日常遭遇するクレーム等に、どのような心構え・対応をしたらよいのか、という点について私の経験からアドバイスしたいと思います。
 まず大前提として頭に留めていただきたいことは、拙著にも書いたのですが「人間同士が直接かかわることに100%も0%もない」ということです。
 児童生徒を指導する時、「どんなに問題を起こす子供でも根は悪くない、必ず分かってくれるはずだ!」と性善説に立つ先生がほとんどでしょう。ところが私が何十年も生徒指導に携わった中でごく一部なのですが、まったく思いが通じない生徒が何人かいたのです。同情すべき境遇等もあるのですが、教育効果が全く見られないどころか、周りの生徒に危害を加えたり校外で凶悪事件を起こしたりしてしまい、残念ですが更生不可能と判断し進路変更となったのです。一言でいえば学校や教師の指導の範疇を超えていたということです。このような場合は校外のそれなりの機関・更生施設で面倒見てもらうしかありません。
 この理屈は世間を騒がす残忍な凶悪犯罪のニュースを見ればわかると思います。国民のほとんどが厳罰を望む冷酷な犯罪者は、大人になって突然冷酷無比な人間になったのでしょうか? まさか少年までは良い部分もあった子が大人(20歳)になったとたん人格が変わったというのでしょうか? こう考えればおそらく1%にも満たないごく少数でしょうが、どうにも変えようのない犯罪者の資質を持った者がいるという事実を認めて対応するしかありません。
 モンスターペアレントについても大半は解決の糸口がある人たちなのですが、やはり長い教師人生の中でまったく話の通じない保護者に出会いました(「拙著の「スーパーモンペ同士の対決」など)。このようなケースでは学校の能力・裁量でどこまでできるか冷静に判断し、その範疇を超える場合は外部機関にゆだねるしかありません。
 教頭時代、ある時校長とクレーム対応等の話になったのですが、「和田さん、保護者の理解を得られなかったこちら(学校)の負けだよ!」と言われたので、私は校長に気も使わず「それはおかしいと思います。世の中にはほんの一部ですが絶対に理解してもらえない保護者はいます。その時は相手が反発してもこちらの主張を押し通すしかありません。」と偉そうに言ってしまったことを覚えていますが、その考えは今でも変わりません。

 このような学校で扱いきれないような特殊なケースではなく、一般的な生徒指導・保護者対応ではどのようなことに留意したらよいのでしょうか? 先ほどの「100%も0%もない」を思い出してください。どんなに荒れた生徒の多い学校でも、偏屈な保護者の多い学校でも、分別のある常識的な生徒・保護者の方が数的に多いはずです。そうであるなら良識ある多数派・主流派を味方につけられれば、教師が処分等の窮地に立たされても、正しい指導・対応をしていたのであれば、生徒達なら直接問題児に注意できなくても、校長への嘆願、在籍生徒の署名活動、SNS・ネットでの教師への支持・応援等に動くでしょうし、保護者についても管理職を中心にPTA役員等と信頼関係を築いていれば、いざという時保護者自ら仲介を引き受け、モンペをいさめたりしてくれることもあるのです。現に私は会長さんに何度か協力を仰いだことがありました。
 教師についても、たとえ一人が不祥事を起こしても、その学校の大半は真面目で責任感のある先生方でしょう。世論・マスコミの批判に負けずに、心を一つに団結して学校を守ってほしいと思います。
 そして最後にマスコミ関係ですが、前回の話を思い出してください。仮に社会正義にかられ真偽を確かめずに突っ走る記者がたくさんいたとしても全員ではないはずです。一人でも一社でも真摯に対応してくれる可能性はあるはずですので、その可能性を探ってください。理解してもらうためにも普段からの地道な交流が大切になってきます。

 このように人間は100%が良い(悪い)人だけいる、逆に言うと誰一人良い(悪い)人がいないことは絶対にありません。その場その場で前向きに可能性を探り、冷静に判断・対応してほしいと思います。

教育現場におけるSNSの暴走 続編

 前回はSNSの厳密な利用規定・罰則規定を国がイニシアチブをとって作成していかなければ、教師がはめられるようなケースはなかなか防ぐことが難しい旨を述べました。
 実はこのSNSの投稿・拡散において、さらに事態を深刻化させる要因があります。それはずばりマスコミの取上げ方です。
 いくらSNS・ネット上で拡散され炎上する事態になったとしても、マスコミがテレビや新聞等で大々的に取り上げ報道しなければ、広く国民(特に保護者・年配者などの大人)が知り、直接声を上げ非難の大合唱をするまでには至らないのではないでしょうか。特に学校・教師の不祥事は市民の注目度が高いため、すべての記者がそうだとは言いませんが、投稿記事・写真・映像の真偽をよく確認せず、そのままアシストするように報道しがちなのです。
 このような状況ですので、前回述べたようにSNS関係の法整備を早急に進めてほしいのですが、プロバイダーやサイトは民間企業であり、利用者が制限され経営不振につながる改正にはかなり抵抗するでしょう。また日本社会自体が元々SNS・ネットの規制が甘いため、事態がすぐに好転するとは思えません。
 ではマスコミを規制できるかといえば、こちらも報道の自由や教育界との力関係を考えれば、今のところ記者や報道機関の自主的な良識に頼るしかないのが現状です。

 ではこのSNSの暴走を止める手立ては全くないのでしょうか? 私も教育者の端くれですので、今回は学校側を守るための方策を述べたいと思います。
 まず1つ目は一人でもマスコミ関係者(特に記者)と、本音で相談できるような信頼関係をつくることです。実は私の場合はたまたまなのですが、ある部活動の事故で生徒が重傷を負ったとき、地元テレビ局の記者が私達学校側の説明に真摯に耳を傾け、事実を客観的にニュース報道してくれたため、内外のどこからも1本も苦情が入ることはなかった、ということがあったのです。
 学校で何かの行事やイベントがあるごとに、報道関係者に取材に来てもらう中で、記者の性格・人間性もわかって来るでしょうから、その中で最も信頼できそうな方と親交を深めておけば、いざ事故・事件が起こった時、お情けとかではなく、客観的・公平に対応してくれる可能性が出てきます。
 もう1つは、校長と教育委員会の対応です。今や教育委員会専門の顧問弁護士を付けることは絶対必要ですし、不測の事態が起こった時には、迅速かつ的確に事実の把握に努めるとともに、特に学校・教員に非がなければ顧問弁護士との連携のもと、その場をとりつくろったりすぐに謝ったりするのではなく、学校・教師を守るため毅然とした対応が必要です。それが将来的に教員組織の団結・信頼につながるからです。
特に報道機関がすでに動き始めている場合には迅速な対応が必要ですので、先ほどの一番信頼できる報道局・記者に、先にこちらの状況を包み隠さず伝える等、先手を打つことも考えるべきです。
 確かにすべてがうまくいくとは言いませんが、学校・教師が虚偽の疑いをかけられた場合には、例えすぐには事実解明が進まず最初は非難されたとしても、後々事実が明らかになるでしょうし、最悪明らかにならず裁判等になったとしても証拠不十分で無罪となるでしょう。
 ですから校長・教委は学校・教師側に非がなければ、最初たたかれることも覚悟したうえでブレない対応をしてほしいと思います。ただ記者会見・取材の際の発言は事実だけを伝え、推測や自分の思いを不用意に答えないことは肝に銘じていただきたいですが。

教育現場でのSNSの暴走

 前回はドイツの記者のねつ造記事とメディアリテラシーについて書きましたが、その中で「世の中のすべての報道・情報には、必ず嘘が含まれていると思ったほうがよい」というフレーズも取り上げました。
 今や都立町田総合高校の体罰事件に限らず、部活動顧問の体罰・暴言がひそかに撮影された動画がSNSでアップされるケースも増えつつあります。
 29日のヤフーニュースによれば、高校で授業崩壊している動画がアップされたり、男性教師が女子生徒と2人で写っている写真に「二人はつき合っている」というコメントがつきSNSで拡散されたり、PTAの懇親会でお酒を飲んで顔が真っ赤になった男性教師が、隣に座っていた保護者と写っている部分だけ切り取られた写真を、「男性教師が不倫している」とでっちあげられSNSで拡散されたケースまであったそうです。

 残念ながらSNSが隅々まで浸透した現代社会においては、教師は常に「どこかで監視、録音・録画されている」という心構えで、慎重かつ冷静に行動しなければなりません。しかしそうはいっても現実の生活指導・生徒指導においては、優しく諭してうまくいくケースばかりではなく、叱責・強制・ペナルティーといった強い指導をしなければならない場面が必ずあります。そうした体を張って子供達に本音でぶつかる姿勢が、問題行動児童生徒を改心させることにつながるのです。
 このことは正義感が強く、本気で生徒を立ち直らせようと熱心に指導する先生ほど、体罰やSNSによる盗撮・拡散の当事者になる危険が大きいというシビアな現実を表しているのです。私の経験では、管理職の危機管理能力や教師間の協力・連携が乏しく、ごく一握りの教師個人の生徒指導力に頼る教員組織で、多くの児童生徒が教師をなめて見下している学校は、SNSなどで教師がはめられる可能性はさらに高くなるでしょう。
 このままでは学校は、熱意のある仕事熱心な教師ほど解雇されたり意欲を失って辞職したりして、マイペースな自分の職務だけこなすサラリーマン先生ばかりになっていきかねません。さらに職場環境・勤務条件が悪化すれば、彼らも次々と転職していき、教師のなり手すらいなくなってしまいます。
 特効薬などありませんが、まずはSNSの仕組みそのものにメスを入れることができれば、少しはこの危機的事態を好転させられると思うのです。例えば、
① ライン、フェイスブック等のSNS交流サイトへは正しい住所・氏名・連絡先でしか登録は認めないこととし、虚偽の申告をしたり違反した者には具体的な罰則を設ける。
➁ 18歳未満又は高校生までは、保護者の了解がなければSNSのサイトに登録できないこととする。
③ サイト監視員や自動フィルターにより犯罪(名誉棄損等)にかかわる動画・写真や文面が発見された場合は、直ちに警察に資料・情報提供をする。
④ 違反者にはその内容(重さ)や回数により、部分的利用制限、一定期間利用禁止、永久追放等の罰則規定を設け実行する。

 と、まず世の中(国)がSNSの利用ルールを法律・規則等で厳格に定め、それをベースに学校内の使用ルールや罰則規定を作成・運用していくのが効果的ではないかと思うのですが。

ドイツの週刊誌スター記者の記事ねつ造に衝撃!

 静岡新聞26日朝刊に掲載された記事が目に留まりました。ドイツの有名ニュース週刊誌シュピーゲルのスター記者が虚偽の記事を書き続けたうえ、厳格な原稿チェックをすり抜けていたことが判明したというのです。
 この記者はルポの名手として知られ、国内外でジャーナリズム賞に輝いており、地元紙は「ドイツメディア界最大のスキャンダルの一つ」と報じています。
 同誌によりますと、この記者が2011年以降に書いた約60本の記事のうち少なくとも14本に虚偽の記述があったそうで、例えばシリア内戦で父母を失い、隣国トルコに逃れた幼い姉と弟の孤児を追ったというルポでは、二人は兄弟ではなく母親も存命で、2人がドイツの里親に引き取られた話も完全な作り話だったそうです。また昨年11月の米メキシコ国境のルポでも登場人物に取材せず、写真の一部は米紙が過去に掲載したものだったということです。
 昨年12月シュピーゲルはこの記者の記事ねつ造と解雇を発表し、謝罪文を掲載しました。

 さて、このショッキングな記事を読んでビックリされた方もいるかもしれませんが、私は何のお驚きもありませんでした。多くの記者がねつ造しているとは言いませんが、私はこれまで記事のねつ造、事実の歪曲を何度も目にしているからです。
 特に印象に残っているねつ造記事は「朝日新聞のサンゴ礁落書き事件」でしょうか。朝日新聞夕刊の一面にサンゴ礁にK.Yと字が刻まれているカラー写真入りの記事が掲載され、ダイバーのいたずらによってサンゴ礁が傷つけられていることを問題提起した内容だったのですが、実際には聞き取りしてその証拠が得られなかった記者が締め切りに間に合わせるため、海中に潜り自分でK.Yと傷つけた写真を撮影し掲載したものだったのです。
 このサンゴ事件やドイツ記者のような明らかなねつ造記事はさすがにそれほど多くはありませんが、今やマスコミが「報道しない自由」を行使するのは日常茶飯事といえるでしょう。
 例えば貧困がひどい国から着の身着のままでお金もほとんど持たず、正当な許可を得ていないが隣国に逃れてきた親子(特に子供が乳幼児であればなおさら)がいたら、思わず同情したくなるでしょう。ところがこの親が自国で犯罪を犯して逃亡してきた事実が伏せられていたとしたら、私達の受け止め方は大きく変わってくるはずです。
 少し前の「町田総合高校の体罰事件」についても、体罰の場面だけ切り取られた映像と、前後の生徒の言動が含まれた内容では市民の受けとめ方は大きく変わりました。
 つまり、マスコミだけではありませんが、事実を伝えること=真実ではなく、ある事実は伝えても意図的に都合の悪い事実・映像を流さないことにより、印象操作・世論誘導は簡単にできるということなのです。
 合理的・客観的思考をすると思われるヨーロッパの国でさえ、マスコミ・記者は売上を伸ばし実績を上げるため、人々の情を揺さぶり感動を呼ぶような美談を意図的に作り出そうとするわけですから、ともすると理性より感情・情緒で判断しやすい日本人は、なおさらマスコミ等の意図的な「報道しない自由」に世論誘導される危険は高いといえます。
 名前は忘れましたが、ある著名人が「世の中のすべての報道・情報には必ず嘘が含まれていると思った方がよい」と述べていました。では一体どうしたらよいのでしょうか? 私達がすぐにできると思うメディア・リテラシーをとりあえず以下書きました。
1.どの報道・情報もうのみにせず、できるだけ第三者として客観的に受けとめる
2.世間が注目する出来事については、できるだけ複数の機関(新聞・テレビ。ネット)の記事を比較する
3.キャスター・コメンテーターの表現を注視し、事実伝達の部分と推測・主観(個人的見解)の部分をしっかり見分ける
4.あらかじめ報道機関の思想信条、特定の出来事などへの立ち位置(見解)を知っておく
5.新聞記事の見出しだけで判断しないこと、テレビも新聞もその記事の主語が誰なのか(懸念している、反発しているのは誰か等)確認する(意外に受身的、第三者的表現が多くみられ、誰が言ったのかわからない記事が多い)

 世の中のほとんどの人は報道される事件・出来事を自身が直接見ていません。私達は「正義」という感情が暴走しないように、様々な角度から冷静に事象を検証・分析する能力が必要だと思います。

ポスト資本主義経済の青写真

 3日前のブログでは、世界の大富豪上位26人の資産約150兆円が、世界の下半分(38億人分)の総資産とほぼ同額であるという記事を取り上げ、近年ますます富裕層の資産が増える一方、貧困層の割合・絶対数が増えていく格差社会が進行している旨をお話ししました。
 では全世界・人類を救うためにはどうしたらよいかということですが、終焉を迎えている資本主義にとって代わる全く新しい経済システムを作り出さなくてはならないと思うのです。それにはまず、日本だけに限らず全世界の既得権益組織の解体を進め、富の集中を防ぎ多くの市民が暮らしやすいシステムを作り上げることでしょう。
 以下の私案は、私が世界連邦の責任者でもならない限り現実味にかけ、すぐに実効性を持たせることもかなり難しいでしょうが、各国民が団結・協力して粘り強く訴えていけば、政府や国連を動かすことも不可能ではないと思います。
 今のところ現実に実行できる可能性は低いですが、人類が一人でも多く人間らしい経済(日常)生活が営めるように、和田の少々ぶっ飛んだ新経済システム私案を述べたいと思います。

① 世界の大富豪の例えば100億円を超える資産を世界の貧困層にすべて寄付として還元・分配する
➁ 世界すべての通貨を無効(運用禁止)とし、貯蓄のある富裕層は期日までにすべて有形・無形資産(不動産・高級消費財・株など)に交換してもらう
③ ②が完了したところで新しい世界共通通貨を製造・流通させるが、新通貨は商品の交換手段のみに使うものとし、通貨そのものを投機・商品対象とせず利子もつけない。金融機関は定められた手数料だけを徴収する。また世界総額GNPを世界人口数で割った一人当たりのGNI平均に近いお金を、平均値以下の世界中の貧困層に寄付金として支給する(それを元手に全人類76億人が一斉にスタートラインに立ち経済活動を始める)

 少々捕捉しますと、ごく一部の大富豪・グローバル企業に集中してしまったお金・資産を、いったんリセット(一人当たり100億円=一生遊んで暮らせるであろう金額(財産)以外は世の中に還元)し、全人類が公平な形で再スタートし、少なくとも労働に見合った正当な報酬を受け取る健全な社会を再生しよう、というものです。
 理想論過ぎるといわれるでしょうが、今の資本主義社会のままでは貧富の格差はますます進行していきます。50年、100年先の人類の行く末を考え、世界のどの地域の人々も平和に楽しく暮らせるように、思い切った裁断をふるえる指導者が世界に現れ、実行してくれることを切に願っています。

中教審、教員残業大幅減へ総合策を答申

 中教審は25日、公立校教員の長時間労働を是正する働き方改革の方策をまとめ、文部科学省に答申しました。残業時間の上限を原則「月45時間、年360時間」以内と定めた文科省指針の順守に向け、一部業務の地域委託や部活動の在り方見直しなど総合的な取り組みを求めた内容で、労働時間を年単位で調整できる変形労働時間制導入も盛り込みました。
 教育行政には実効性のある取り組みを要請し、タイムカードで勤務時間を客観的に把握し、業務削減につなげるべきことや、部活動についてはガイドラインに沿い、休養日を週2日以上設け、1日の活動時間を平日2時間、休日3時間程度に抑えることとし、公立中学校で教員に代わり顧問を務める部活動指導員を大幅に増やす予定だということです。

 さて、一般市民の方から見ればある程度評価できる内容だと思われるかもしれませんが、学校現場の多くの教員は「絵に描いた餅」ととらえるでしょう。なぜならここに挙げられた「残業時間月45時間以内」などの数値が実際に達成される、守られるとは到底思えないからです。
 罰則等の法的拘束力や教職員給与特別措置法(+4%を支給する代わりに残業代は一切なし)の改正がなければ、過去繰返し失敗した改善策の二の舞でしょう。教師は子供や学校のためなら自主的に取り組む仕事が多く、どこまでやったら終わりというものではありません。タイムカードを導入したところでチェックの後実質的に居残り残業せざるを得ないかもしれませんし、残業手当が出ないなかで、どこまで管理職や教委がきちんとチェックするかわかりません。
 部活動についてもだれがどのような形で活動時間をチェックするのでしょうか? 子供達や保護者が中体連・高体連の公式試合・全国大会を目標に力を入れている中で、私立校も含めどこまで抜け駆けを防ぎ活動時間や休養日の順守を徹底できるのでしょうか? 結局、かつて第2土曜日の対外部活動禁止(自粛)日がなし崩しとなった二の舞にならないでしょうか?

 こんな形だけの働き方改革ではなく、真に教員の勤務条件を改善するには、大きく次の3つが必要だと私は思います。
① 教員の正式な業務の明確化(法律・規則に具体的に項目を明記し、罰則を設け国民に周知徹底する)
➁ 教職員給与特別措置法の改正(行政職と同等かそれ以上の給与水準と残業手当の支給)
③ 部活動の職務への位置づけ(正式な校務か否か、校務なら残業代支給か勤務日振替[代休取得])

 ①については以前ブログでも書きましたが、例えば教員の職務から外すものとして「学校外での生徒指導」「登下校時の交通指導、交通事故対応」「外部・近隣住民からの苦情受付と対応」などが考えられ、法的拘束力のもと内外に徹底します。
 ②については+4%をなくす代わりに残業代を支給することとすれば、無駄な残業代を支給するわけにはいきませんから管理職・教委の勤務時間チェックや早期退室指導が進むかもしれません。ただ①が進まなければ逆効果になりますので注意を要しますが。
 ③は永遠のテーマかもしれませんが、理想は部活動を職務に位置づけ、平日だけでなく土日も正式な残業としてカウントすることです。しかし今の教員の部活動指導時間からすれば全国の教員に莫大な残業代を支給しなくてはならず、おそらく今の財政ではパンクしてしまうでしょう。そこで代休を中心に考えますと、校務であれば土日も勤務日になりますから、勤務の振り替えをして平日やすませれば一見残業代はそれほどかかりません。しかし、そのためには大幅な教員の増員をしなければ授業する人数が足りなくなります。結局代休案も教員増員の人件費が莫大になるかもしれません。しかし、部活動が特に中高校の人間教育の根幹を担っているとするなら、国は思い切って財源を確保すべきでしょう。
 逆にもし校務ではないならそれを明確にし、指導する教員の身分と補償、中体連・高体連の大会を含めた運営の在り方など、抜本的なシステム大改編が必要になります。

 いずれにしましても、中教審・文科省の方々は学校現場の声にもっと耳を傾け(1カ月程度学校で職員として研修をすれば教師の勤務の実態もわかる)、実質的な働き方改革を実行していただくことを切に望みます。
 

教員採用試験と採用時のエピソード

 1日置いて和田の教師人生話の続きです。前回は大学4年生の教育実習後、やっと教師になる決意を固めたところまでお話ししました。今回も私のいい加減さが起こしたハプニングを包み隠さずお話しします。
 当時教員採用試験は7月中旬~8月上旬に行われる都道府県が大半でしたが、近隣県同士では受験者の掛け持ち受験による辞退者を多く出さないために、試験日をそろえることが多かったのです。そのため必然的に離れた県を複数受験することになり、私の場合は宮城県、埼玉県、郷里の静岡県、大阪府を受験することにしました。
 最初の受験が静岡県だったのですが、この時も私のいい加減さが存分に発揮されました。私は専門科目の地理には自信を持っていましたが一応勉強もしました。しかし教職教養部門(教育基本法など)の方はナメてかかり、ほとんど勉強していませんでした。ところがいざ試験を受けてみると、教職教養がさっぱりわかりません。受験後、さすがにこれでは受からないとあせりはじめ、半月しかありませんでしたが、8月上旬の宮城県の採用試験に向けて教職教養を必死に勉強しました。そのかいあってか宮城県と大阪府の1次試験に合格できました。
 ところが9月中旬の宮城県の二次試験時にハプニングは起きたのです。私の友人も1次試験に合格しており、二人で面接日程を確認したところ、彼は1日目私は2日目だったのです。そうしたら「和田、俺今日終わるから飲みに行こう!」というのです。私は面接試験が翌日ですから一旦断ったのですが、どうしても飲みに行きたそうだったので、「まあ、短い時間ならいいか」と飲みに行ってしまったのです。
 ところが人生何があるかわかりません。二人で飲んでいた居酒屋で、偶然隣に座っていた女子学生二人の会話に東北のある田舎町の地名が出てきたのです。それを聞いた友人が思わず「えっ、〇〇だって?」と大きな声で反応してしまったのです。そう、女子学生の一人が彼と同郷だったのです。そこから話が盛り上がって4人で飲んだのですが、当然私は1次会で帰宅するつもりでした。ところが運の悪いことに彼女たち二人は大変な酒豪だったのです。店を出る時に彼女達から悪魔のささやきが…。
「もう1軒飲みに行きましょうよ!」と。それでも私はうまいこと言って帰ろうとしたのですが、友人が一緒に飲みたそうだったので申し訳ないと思い、{しょうがない、もう1時間だけ付き合うか}と同行してしまったのです。
 その優柔不断さが間違いでした。酒豪の彼女たちに何軒も連れまわされ、友人のアパートに帰宅したのは2時過ぎでした。もちろん私は途中から飲むペースをかなり落としてはいましたが。翌朝一人で起き、うがい歯磨きをし、牛乳を飲み酒の匂いがしないか確認をして私は面接会場に向かったのです。幸いにも面接は酒の匂いも含め特に失敗もなく乗りきることができました。
 そして年末には宮城県と大阪府の合格連絡をいただいたのですが、その時点ではまだ実際に採用されると決まったわけでありません。当時から大阪府の採用の動きは早く、確か1月末には直接府立高校の校長先生から採用する旨の電話をいただいたのです。私は正直焦りました。大阪は全く知らない土地で文化や風習もかなり違いますので、できれば宮城県に残りたいと思ったからです。そこで例のお世話になった校長先生に宮城県の採用見通しを尋ねたところ、しばらくして「大丈夫だ、採用してくれそうだ。」とおっしゃってくれたので、大阪府を断り宮城県の高校教員になる意思を固めたのです。
 何となくお分かりだと思いますが、校長先生が採用に尽力なさってくれたようでいくら感謝してもしきれません。
 そして3月下旬となり、私は大学の卒業式を終えた後、同級生とともに大学の先生と送別会で最後の酒を酌み交わし、その流れで友人宅に集まり麻雀となりました。当然のごとく徹夜になり、確か朝の5時頃になった時だったと思います。私は何か今日約束があったようなひっかかりを覚え、それが気になりだしました。必死に思い出したところ、何とその日は赴任の決まった高校(同級生のお父様が校長)に挨拶(面接)に行く日だったのです。
 私は一瞬血の気が引きました。「大変だすぐしたくしなくちゃ!」と慌てて準備したのですが、自分の家ではないのでひげをそる電気カミソリがありません。仕方なく友人から手動のカミソリを借りて剃ったところ、慌てていたこともあり、あごの上付近をざっくり切ってしまいました。応急に絆創膏を張り、黒縁のメガネ(普段はコンタクトですが眼が疲れていた)をかけ、なんとか面接時間に間に合うことができました。
 この時も大失敗することなく、結果的に採用され宮城県の教員になることができたのですが、もしあの時面接日を忘れて麻雀し続けていたら、私の人生は全く違ったものになっていたことでしょう。本当に神様に感謝するしかありません。
 こうしてめでたく高校教師としてのスタートを切れた私ですが、実はこの宮城県の初任校の5年間が私の教師人生の土台を作ってくれたといっても過言ではありません。
 次はこの勤務校の話をしたいと思います。

世界の富豪上位26人の資産は世界人口半数の貧困層38億人の資産と同額!

 23日の静岡新聞夕刊の記事に、国際非政府組織オックスファムが世界経済フォーラム年次総会で公表した衝撃的な報告内容が掲載されていました。
 その報告書によりますと、なんと世界大富豪の上位26人が独占する資産は日本円で約150兆円(1,2位を争うアマゾンのジェフ・ベゾスやマイクロソフトのビル・ゲイツは一人で約10兆円以上)に上り、世界人口の半数(下位半分)にあたる貧困層38億人が持つ資産とほぼ同額だと言うのです。オックスファムはますます世界の格差が拡大しており、各国政府は富裕層への課税を強化し、教育や保健医療の無償化など不平等対策を急ぐべきだと主張しています。
 同じオックスファムによる2016年のデータを調べたところ、富豪上位62人の資産が世界の下位半分に当たる36億人の資産とほぼ同額と指摘していますから、2年前と比べても貧富の格差が拡大していることは間違いないでしょう。
 資産10億ドル以上(1,080億円以上)の富豪を「ビリオネア」と呼ぶそうですが、その人数は2010年の1011人から2018年は2208人とほぼ倍増し、総資産も17年からの1年間で12%増えているのに、下位半分(38億人)の資産は17年と比べ11%減少しているということです。

 さて、数字を聞いただけでもあまりにも富が偏っていると思いませんか? 少し前に著書「知ってはいけない金持ち悪の法則」を紹介したこともありましたが、もはや現代は汗水たらしてお金を稼ぐ時代ではなくなったといえるのではないでしょうか。もちろん一庶民から創業して大成功をおさめ、大富豪になった方はそれなりに評価されるべきでしょうが、世の中には親の莫大な財産を何の努力もなく相続した人や、投機的商品・カジノ等の賭け事で瞬時に大儲けした人もいます。
 そして私が一番危惧することは、現世界が資本主義の末期的症状を呈しているということです。確かに資本主義経済・市場経済というものは、いかに各人が自由に経済活動で利益を上げるかであり、資本主義経済の初期段階では需要と供給の法則が正常に機能していたため、人々は労働時間をかけ労働効率を高めることが収入(利益)に直結していました。そしてお金は物品(商品)を購入する手段であり、できるだけ優れた商品を多く購入し豊かな暮らしをしたいから、所得(お金)を増やそうと必死に働いてきたのです。
 私が思いますに一番の問題は、現代は財(商品)の総量に見合ったお金(通貨)が流通し、現金で直接商品を買うことが少なくなり、お金そのものが商品として投機の対象となり、電子マネー・仮想通貨として世界中で自由に生み出され、商品購入手段と別の形で独り歩きを始めてしまったことです。
 つまりこれまで真面目に一所懸命働けばそれなりの収入・富が得られたのに、今やごく一部の企業経営者・投資家・大地主・大資産家が世界中から瞬時に莫大なお金(資産)を集めてしまうのです。そして世界の大多数の人々(70億人)が、残り少ないお金(資産)を必死に奪い合うわけですから、ちょっと稼げても焼け石に水の状態なのです。
 まさしく水野和夫氏の言うように「資本主義の終焉」だと思うのです。このままでは人類の存亡にも関わりかねませんので、今までと全く異なる新たな経済システムが必要でしょう。次回は私見ながら全人類ができる限り平等に安全に仲良く生活できる経済システムについて(といってもまだまだ抽象的ですが)を思いつくアイディアを述べてみたいと思います。

私が教師になろうとしたきっかけ ― 同級生の父親との出会い ―

 昨日は夜の会合があったため、1日ブログをさぼってしまいすみませんでした。
 さて、前回の続きとなる話ですがお付き合いください。私は大学に入学した当時は教師になろうとは全くといっていいほど考えていませんでした。思えばこれもラッキーなのですが、私の所属は理論中心の理学部でして、周りの人から「企業への就職は少ないから教職免許はとっておいた方がいいよ。」といわれ、1・2年時「教育原理」「青年心理学」という教職科目を念のため履修したというのが正直なところなのです。
 このように当時は将来の設計図などほとんど描けない甘ちゃんだっだわけで、本当に恥ずかしい限りです。
 ところが今ならチコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!!」と、叱られたであろう状況を変える出来事があったのです。もう40年以上も前の時代で当時は電話も宅急便もないため、実家から年に何回か食料や日用品の仕送りをしてもらう時一人住まいのアパートでは受け取る方法がないのです。そのため母親に催促され、地元で自宅から通学している同級生の家に受け取りを頼んだのです。その1カ月後くらいでしたか、同級生から「おまえの荷物が来たよ」と連絡を受けたので、早速彼の家に夕方荷物を受け取りにいったのです。玄関で迎えてくれたお母様に案内された居間にお父様がどっかりと座っておられました。
 そして私を見るなり「君が和田君か、髪長いなー」と、なんと初対面にもかかわらず開口一番説教だったのです。いいわけですが私は当時準硬式野球部に所属しており、スポーツ刈りではありませんでしたが、着帽時みっともなくはない長さだったと思うのですが…。私はびっくりしたのと同時に{いくら私が子供の年代でも、初対面で失礼ではないか!}と内心ムカッときました。
 それからというものの、2,3カ月に1度くらい荷物を受け取りにお邪魔するたびに、お父様が居間で待ち構えていて酒を飲まされました。何回目の時かは忘れましたが、ある時お父様は私に「和田君、留年しそうなできの悪い生徒がいるんだが、どうしたもんかなあ」と独り言のようにつぶやいたのです。私はその時初めてお父様が高校の校長先生であることを知ったのです。
 そして1年もたたないうちに、その校長先生に引き込まれ始めている自分に気が付きました。酒を飲みながら学校の様子を話してくださる先生は、厳しさの中に生徒思いのやさしさがあり、学校全体を統括する立場でありながら生徒の名前(特に問題を抱える生徒、部活動を頑張る生徒など)をよく知っているのです。そして話をされる校長先生の目がまるで十代の少年のようにランランと輝いてたのです。私は「世の中にこんな熱い思いとエネルギーを持った大人がいるのか!」と、どんどん先生の魅力に引き込まれていったのです。
 そして大学3年の後半には教師になることを考え、教育実習を申し込みました。それでも地理学科では大学院へ進学する先輩が多かったため私はまだ迷っていましたが、それが吹っ切れたのが教育実習だったのです。
 当時の教育実習先は郷里の出身校ではなく、大学のある市内の高校に強制的に振り分けられるシステムで決まりました。私は仙台市内の工業高校に決まり、実習直前に指導教官の先生に挨拶に行きました。ところが先生は「和田君は地理が専門だったよね? じゃあ、月曜日からすぐ授業お願いね。」と言われ、私は授業見学も指導案作成もないままいきなり生徒の前に立って授業をしたのです。その後1回だけ授業を見に来てくれましたが、見学後「いやー、和田君はうまいよ。大丈夫だ、任せたよ。」とその後教育実習期間(2週間)全く見に来ませんでした。おかげで私は30時間くらい授業をしたと思います。実習の最後の研究授業見学後、先生は「いやー、和田君は授業が本当にうまいよ、うますぎる。私がこれまで見た中で2番目にうまいよ!」といってくれたのです。なんでも1番目は放送局のアナウンサーになった女子学生だそうですが。人間いくらお世辞でも褒められればうれしいし、自信もわいてくるものです。また、教えた生徒の感想文がほめてくれた内容が多かったことも教師になる決意を後押ししてくれました。
 後になって思ったことですが、この指導教官の先生は単なるぐうたらの反面教師などではなく、私の性格を見て最大限の力を発揮させてくれるテクニックを持った方ではないでしょうか。
 こうして同級生のお父様に教師の魅力を教わり、指導教官の先生、生徒たちに自信を付けさせてもらって、私は遅ればせながら4年の6月に教師になる決意を固めたのです。
 
 *プライベートな物語にお付き合いくださりありがとうございました。次回(連続になるかどうかわかりませんが)は教員採用試験と採用時のエピソードをお話したいと思いますのでもう少しお付き合いください。

受験の失敗が人生のプラスになることもある

 昨日は受験生が第1志望校に合格できるようにエールを送りましたが、残念ながら現実には全員が希望校に合格できるわけではありません。特に倍率の高い人気難関校は不合格者の方が圧倒的に多いからです。では、希望校に合格できなかった人はデメリットしかないのでしょうか? 実は「人生急がば回れ!」でうまくいくことも結構あるのです。
 まさに私自身が受験に失敗した人間であり、浪人が私の人生の大きな転機となったことを皆さんにぜひ伝えたいと思います。
 
 私は地元の公立高校に通いましたが、伝統的な進学校でほとんどの生徒が大学進学を目指しましたので、私は特に進路を深く考えることもなく、同級生に合わせるように成り行きで受験しました。父が工業関係の技術部門だったこともあり、親から勧められたわけではありませんが、私は工学部で当時主流の電気工学科を何となく受験したのです。
 しかし、当時の私はどうしてもこの大学に入学したいという強い思いも、工学部電気工学科でこういう研究・勉強をしたいという意欲もありませんでした。そんな状況でしたので受験勉強も真剣みにかけ、第1志望校どころか第2,3志望校も落ちてしまったのです。さすがに最後のすべり止めの私立大工学部は合格しましたが、私は必死に勉強したという意識がなく、受験勉強に悔いが残っていたのです。
 私の父は厳しく世間体も気にする人であり、「受かったならその大学に行け!」と言ったのですが、私は「自分の力を出し切っていないので浪人させてほしい」と、初めて父に逆らって懇願したのです。それでも3日間認めてもらえなかったのですが、母親が助け舟を出してくれて、やっと1年間だけ浪人の許可が下りたのです。
 東京での予備校生活に入ってすぐ、私は「いったい自分は何を学びたいのか?」初めて進路を真剣に考えました。しかし就きたい職業まで具体的にイメージはわきませんでしたので、素直に一番好きな科目である地理を勉強したいと思ったのです。目標が決まれば意欲もわき、全国の大学の地理学科を全て自分で調べて第一志望校を決めました。
 「ここで失敗すれば一生父に頭が上がらなくなる!」と、私は尻に火が付いた状態でしたから死に物狂いに勉強し、国立の第一志望校に何とか合格することができました。そして忘れもしないのですが、合格の報告をした時父は「お前の言うとおりだったな。」とぽつりと言ったのです。この時初めて私を一人前と認めてくれたのではないかと思っています。
 合格したことはもちろんうれしいのですが、振り返ってみればこの地理学科への進学は、私にとって人生の大きな転機になったのです。もし現役で合格して工学部電気工学科に進んでれば、その後の職業選択肢からいって九分九厘教師にはなっていなかったからです。
 ただ、浪人すればすべて好転するわけではありませんし、サラリーマンで言えば勤続年数が1年短くなる分生涯収入は少なくなりますから、現役で入学できるに越したことはありませんので、そこは誤解のないようにしてください。
 私の場合「ケガの功名」といいますか、受験に失敗したことが将来の進路を真剣に考えるきっかけとなり、結果的に前とまったく異なる道を歩き始めることになったということです。ですから不幸にして不合格になっても、私のように失敗が好機・契機となることがあるので、そこで諦めないでピンチをチャンスととらえて頑張ってほしいのです。
 今回は長くなってしまいましたので、次回はこの後私が教師になろうと思ったきっかけ(ある方との出会い)についてお話ししたいと思います。
プロフィール

わだしん

Author:わだしん
和田慎市です。公立高校退職後、私立高校で講師をしています。教鞭をとるかたわら、教師人生で学んだノウハウを多くの方に活かしてもらおうと、執筆・講演活動を行っています。H29年末に第三作「いじめの正体」(共栄書房)を出版しました。最近はアゴラ‐言論プラットフォーム‐に時々投稿しています。ご意見・情報交換はこちらへお願いします。なお、詳しいプロフィールはこちらから。

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