横浜市の乗客死亡のバス事故、運転手は「無呼吸症候群」で治療中

 28日夜横浜市の国道で起きた路線バスの衝突事故について、警察が事故原因を調べている中で、バスの運転手は事故当時意識を失っていた可能性が高いことがわかりましたが、その後の調べで「無呼吸症候群」のため治療中であったことがわかったということです。「無呼吸症候群」の程度にもよりますが、この病気は睡眠時に熟睡ができないため、時に昼間猛烈な睡魔が襲うことがわかっており、重い症状の場合は運転を控える指導がなされます。
 この運転手がどの程度の症状かわかりませんが、医者の診断を受け会社へも結果報告がなされたうえで、「運転に支障なし」と判断されているわけですから、おそらく事故を起こす前は重い症状ではなかったのでしょう。
 今回のように事前の危険予測が不可能なら、「無呼吸症候群」だけでなく、運転手が何らかの持病を再発したり、急に健康状態を悪化させたりすることで走行中運転不能に陥るリスクを0にすることは難しいでしょう。
 そこで喫緊の対策として、運転手のこまめな健康管理・チェックはもちろんのこと、乗客のシートベルト着用や、バスの自動ブレーキ完全装着を進める必要があるでしょうし、将来的にはバスの自動運転の実現も検討しなくてはならないかもしれません。運転手は過酷な労働条件の中で益々高齢化していますから、運転手の管理だけでなくハード面のセキュリティーを高めていってほしいと思います。

 余談ですが、実は私も「無呼吸症候群」の一人です。時々昼食後ひどく眠気をもよおす時がありますが、おそらくこの病気が影響していると思われます。私は中肉中背で首の周りにたくさん脂肪がついているわけではなく、やせることで症状が改善しそうもありませんから、自覚症状がひどくなった場合には矯正用のマウスピースをはめるなど、改善策をとらねばならないかもしれません。ドライブ好きな私は、この事故を見て真剣に考えねばならないと思いました。

廃校が異色の水族館に変身(高知県)

 30日時事通信社の記事によりますと、高知県室戸市の小学校の廃校を再利用した「むろと廃校水族館」が、開館からほぼ半年で年間4万人の目標をはるかに上回る10万人を突破する来館者が訪れる人気ぶりだということです。
 市が約5億円を投じ、12年前に廃校になった三階建て校舎を水族館に生まれ変わらせましたが、直接触れられるナマコやヒトデなどをはじめ、漁師らが地元の海で捕獲した約100種類の海の生き物が飼育されているそうです。また、人体模型のある理科室や図書室など館内に色濃く残る学校の面影も評判を呼んでいるとのことです。

 さて、人口減少が続く日本では、特に地方の山間部を中心に学校の廃校だけでなく、社会のコミュニティそのものの維持が難しくなっている自治体がどんどん増えています。現在では全国の多くの自治体が、移住者を増やし経済を活性化しようとあの手この手で策を練っています。私の県でも県外から移住してきた家族に補助金を出したり、就職の世話をしたりして人を呼び込もうとしている市町村があります。
 地元に住む人間の立場になれば、自分達の自治体の人口を増やし仕事を増やし収益を上げることで町を活性化したい気持ちは当然だと思いますが、全国の自治体がそれぞれ独自の政策かかげ、自由競争を繰り返せば、結局大半が共倒れになる可能性が高いのです。
 日本の人口は約35年後に1億人を割り込み、100年後には約5千万人まで減少すると予測されています。ですから人口という面だけで考えても、全国の自治体がお互いに人の招致・移住合戦をやれば、どんどん少なくなっていくパイを取り合うのですから、今の行政区域のままであれば人口増加に転じたり総生産額が増加したりするところは100に1つくらいでしょう。そしてずば抜けて人口流入に成功した自治体が生まれれば、当然その反動で大きく人口減少する自治体は増えるのです。
 そうしますと長期的なスパンで日本の将来を見据えれば、国策として日本の国土全体で行政区分や都市・産業の配置、計画的な土地利用等を考える必要があるのではないでしょうか。
 この「むろと廃校水族館」は市のアイディアではありますが、ただ闇雲に移住者を増やそうとしたのではないでしょう。旧施設の効率的な利用、新たな娯楽・教養の楽しみ方、市外・県外からの人の往来の活発化などは、他の全国の自治体にヒントを与えたと思います。国は地方自治体と連携し、市町村ごとに人を取り合うのでなく、居住優先地区、食料生産地(農地)区、娯楽地区、情報中枢部、資源開発区、工場地区などを、日本全土の中でバランスよく配置し、交通機関の効率化を図り人の往来を活性化させていくことが、かなり大胆な考え方かもしれませんが、世界で未曽有の人口減少を続ける日本に必要なのではないでしょうか? 

ブラジルの新大統領に右派のボルソナロ氏が市が選ばれる

 今日は久しぶりに政治ネタです。29日産経ニュース他の記事によりますと、28日に投開票されたブラジル大統領選の決選投票で、右派のボルソナロ下院議員が初当選を果たしました。得票率はボルソナロ氏が55.13%と対抗馬を10ポイント以上引き離したようです。「ブラジルを偉大に!」と、ナショナリズムを鼓舞する姿勢はトランプ大統領に瓜二つともいわれています。
 保護主義的「ブラジル最優先主義」をうちだし、対中国強硬策、多国間主義から2国間主義へ、政界の汚職の撲滅、自衛のための銃の所持の推進などを主張しています。

 さて皆さんはまた一人大変な大統領が誕生したと思うでしょうか。新聞の記事は「極右のボルソナロ氏」とことさら不安をあおる表現がみられます。確かにニュースで流されるいくつかのシーンでの発言は、過激で差別的であり、おそらく欧米や日本では人権侵害で訴えられるレベルでしょう。
 ではそんな人権侵害的な発言をしたにもかかわらず、なぜ彼はライバルを10ポイント以上も引き離して圧勝したのでしょうか? 私たちはこの事実を冷静に分析する必要があります。確かに圧倒的多数とまではいきませんでしたが、一見大きな問題を抱えていそうなボルソナロ氏が当選した理由を、以下私なりにまとめてみました。
1.ここ数年のブラジル経済の停滞、政界の汚職があまりにもひどすぎたこと
  リオオリンピックの直前には、失業者・低所得者を中心に、「この不景気時にオリンピックに莫大な税金を投入するな!」とばかりに各地でオリンピックボイコット運動のデモ・抗議が起こったり、汚職まみれと思われた大統領の弾劾まで行われた。
2.ボルソナロ候補は小政党で一連の汚職には関わっておらず、クリーンなイメージがある
3.ポピュリズム的な面はあるが、正直に思ったことを発言する態度、正義感が好印象を与えた
4.中国をはじめとするグローバル主義に飲み込まれつつあるブラジル経済の立て直しを期待された

 つまり少々問題発言はあっても、国の経済、国民の生活を第一に考えてくれそうな、強く正義感にあふれる元軍人をブラジルの救世主として期待したというわけです。
 以前にもトランプ大統領関連の記事で述べたことがあったと思いますが、現世界はいくら「国際社会が協力して…」ときれいごとを言っても、本音ではそれぞれの国家が、まず自国の国益を最優先に考え外交を重ねているのが現実です。ですから保護主義=悪でも、自由貿易・グローバリズム=善でもありません。相手国によって、またその時の情勢によって国の政策は絶えず変化しますし、他国にとって正しい(善)と思われることでも、日本にとっては正しくないことも往々にしてあるのです。
 前の繰り返しになりますが、私達は現在大企業化し、グローバリズム推進派とも思える大手マスコミの報道について、その発言・記事内容をしっかり検証・チェックしたうえで、真実を見極める冷静さが必要であると思います。
 そんなわけでボルソナロ氏についても、イメージだけで判断せず、今後半年くらいはどういう政治・外交を行うのか実際に見たうえで評価を下すべきだと思います。

プリンセス駅伝のアクシデントで考えること

 本日全日本大学女子駅伝が仙台市を舞台に行われました。私は部活の練習試合がありましたので、帰宅後録画でレースの様子を見ました。前半は抜きつ抜かれつのなかなか面白い展開となりましたが、結局選手層の厚い名城大学が後半他大学を引き離し2連覇を達成しました。
 実はレースを見ていた時、私はちょうど1週間前に九州を舞台にして行われた全日本実業団女子駅伝予選会(プリンセス駅伝)を思い出しました。ニュースやユーチューブ等で話題になったのでご存知の方も多いと思いますが、めったに起こらないようなアクシデントが2度もこの駅伝レース中に発生してしまったのです。
 1つはイワタニ産業の2区の選手が第2中継点約300m手前で転倒したらしく足を痛めて走れなくなり、何とハイハイのように四つん這いで中継点を目指したのです。それまで上位に位置しながら結局すべてのチームに抜かれましたが、両ひざを擦りむき出血しながらもなんとか3区の選手にタスキをつないだのです。テレビ中継はしばらくトップ争いをそっちのけで、彼女の間近のアングルで四つん這い歩行の映像を流しました。
 アクシデントはそれだけにとどまらず、3区で首位を快調に独走していた三井住友海上の選手が、残り2キロを切ったところでペースが落ちたと思ったら蛇行しはじめたのですが、どうも脱水症状か何かで意識がもうろうとなってしまったらしいのです。ユーチューブなどには蛇行どころか反対方向に走ってしまったり、折り返し地点のカラーコーンを回れなかったため、2,3百mも進んだところでまた戻される光景や、その後フラフラになって道路わきに倒れこむ映像がありました。結局途中棄権となりそれまで首位だった三井住友海上は本選への出場を絶たれてしまったのです。
 このアクシデントについて、これまで大会運営側の多くの問題点が指摘されています。2区の四つん這い走行では監督がテレビ中継で気づき棄権を申し出たのに現場への連絡がうまく伝わらなかったこと、選手の脇で運営係員が「もう少しだ、頑張れ!」と激励した音声が流れたこと、3区では折り返し地点のカラーコーンを回れなかった直後に誰も再誘導しなかったこと、道路わきに倒れた直後の係員の対応がお粗末だったこと、など映像から判明したことも結構ありました。
 これを受けて視聴者、有識者、駅伝関係者から、この1週間で数多くの意見・コメントが表明されていますが、まさしく賛否両論入り乱れています。

 さて、選手の健康・生命の危険を考えれば、主催者判断で選手を止めるのが筋だと思いますし、ルールや駅伝の特性(チームとしての完走)を重視すれば、選手やチーム(監督)の判断を優先することになるでしょう。
 ここからは私の考えになりますが、常識的に考えれば今回のケースでは大きな身体へのダメージが起きているわけですから棄権させるべきでしょう。ところが集団(チーム)の和・団結を尊いものと考える日本の文化、それを美談としたがるマスコミ、駅伝好きな国民性(私も駅伝好きでついテレビを見てしまいます)とテレビの安定した視聴率などが、かなりの賛成(擁護)派を生んでいるのではないでしょうか。しかし、まずは第一に守られるべきは選手の健康・安全であり、ここで無理したことで選手生命を絶たれてしまうようなことがあれば、結局は彼女たちの人生をつぶしてしまうことになります。
 そこで、テレビ局には少し我慢をしてもらって例えばテレビ中継を年間1本とし、陸連や大会関係者は年間の駅伝レースを精選して減らすことです。私のように駅伝ファンはテレビ中継されればどうしても見てしまうのですから、多少売り上げが落ちるでしょうが、テレビ放映と駅伝の本数を減らすことが最も選手の健康を守ることに直結すると思うのです。それと同時に、中継あるなしに関わらずレース中の重大事態を明確に規定し、その対処マニュアルを作成し、発生時に主催者判断で棄権・中止を履行できるようにするべきではないでしょうか。繰り返しますがどう考えても選手一人一人の健康・選手生命が最優先だと思うのです。

今後の大学の運営・あり方について

 前回大学奨学金の返済遅延について話しましたが、最近は教育にかかる費用が増加し、奨学金や教育ローンに頼らざるを得ない家庭が増えていることも事実です。
 ですから、この問題を根本的に解決するには、大学の入学金・授業料・諸会費等を大幅に減額するか無償化するしかありません。ところが、日本の大学の入学金や授業料はかなり高いのですが、なぜでしょうか? まず、学生総数に対する大学教職員数が、中学・高校よりはるかに多いことがあります。大学の専門性から言えばそれは当たり前のことではあるでしょうが、中には教員免許状を持たず、ある日突然文科省やマスコミ関係などからの天下りにより教授の地位につく方も一定数おり、教授にはそれ相応の給料を支払わなけれならないため、大学の総支出のうち人件費の占める割合は相当に高くなっているはずです。
 また、文科省の愚策により、新大学や新学部(学科)を安易に認可してきたため、現在大学の総受験人数より全大学の定員合計の方が多いという状況になっており、失礼ながら特に偏差値が低い地方大学(特に単科大学)は、なかなか定員を満たすことができません。ですから低学力であってもほとんど受験勉強をしていなくても、偏差値で下位の4分の1くらいまでに位置する大学は、受験さえすればほとんどフリーパス状態で合格できるのです。
 そして学力の低い学生が一定割合を占めるようになれば、当然留年・退学のリスクが増しますが、この留年者が一定割合を越えることで、文科省から補助金を減らされてしまわないためにも、できるだけ単位を与えることで単位修得をさせ、卒業させていく方向に流れやすいのです。つまり、皆とは言いませんが今の学生は真面目に勉強しなくても入学でき、単位も修得しやすい環境に置かれているのです。
 このようなことから、大学は思い切って大々的に統合・再編・閉校行っていく必要があるわけです。しかし、なぜこういった大英断ができないのかといえば先ほど書きましたように、①大学の人件費が相当高い割合に達してしまい、簡単には教職員の給料の大幅減額ができないこと ②大学・学部等の安易な新設を自ら誘導したような立場にある文科省が、手のひらを返したように統合・再編・閉校などのプロセスでイニシアチブをとるとは考えにくい。
 こうして若者・受験生の絶対数がどんどん減っているにもかかわらず大学が減ることはほとんどなく、定員割れの状況で入学した学生とその保護者が、少ない絶対数で大学経営を支えるため、一人当たりの負担金額は相当増すはずであり、それが授業料だけでなく、諸会費等の増加にもつながっている。

 こうなれば、授業料などの大幅減額を実施すると同時に、教職員を準公務員と位置づけ、公務員と同等の給与体系として、現在の人件費を大幅に減らすなど思い切った策が必要になります。
 やはり私としては大学授業料の無料化を行うことと並行して、大学入試も簡易なスリムなものとし、原則一定条件を満たせば、多くが希望大学(学部)に進学できるようにする代わりに、単位履修・修得、進級・卒業条件は厳しくしますが、何度でもやり直しがきくシステムを構築するのも一案だと思います。
 次回はいよいよ具体的な改革案を提示したいと思います。

奨学金を返済できず自己破産する若者も

 ここ数年話題になっていることですが、主に大学進学のため奨学金を借りた学生が、卒業後いつまでも返済できず、中には自己破産する若者まででてくるなど、奨学金返済問題が深刻化しています。
 私の学生時代は、国公立大の授業料が極めて安かった(なんと年間36,000円!)こともあり、奨学金を借りる学生が多かった印象はありませんでしたし、奨学金は「無利子」と決まっていて元金を返還すればよかったのです。
 しかし現在奨学金は、給付型(無利子)と貸与型(有利子)があり、最近のデータによれば給付型奨学金を借りた割合は文系15.1%、理系12.3%で、貸与型では文系35.3%、理系46.1%と、圧倒的に貸与型が多く、特に理系では半分近くの学生が奨学金を借りています。給付型を受けたくても成績等の条件があるため、貸与型奨学金を借りる学生が増えているだけでなく、それでも足りなければ教育ローンを組む家庭も珍しくありません。
 日本の大学は世界的に見てもかなり授業料が高く、その他の諸経費(教材費、研修費、施設費など)もかなり高額な大学も見られます。その上特に親元を離れた学生には生活費がのしかかりますが、最近は大都市圏を希望する学生が多く、住居費や物価が高いため、毎月の出費もかなりの金額になるでしょう。
 そうなると、親の仕送りでは足りない家庭が多く、奨学金や教育ローンを借りる一方、子供自身もアルバイトで生活費を補わざるを得なくなります。しかしアルバイトに頼る比重が増せば学業に悪影響を及ぼすこととなり、成績不良・留年ともなれば、その先にある就職に不利になりかねません。せっかく奨学金を借りてまで大学進学したのに、希望の企業に就職できないどころか、正社員にすらなれない学生も一定割合見られるようになってきました。
 正社員になれなければ、必然的に有利子奨学金の毎月の返済が滞ることにもなりかねないのです。

 さて、この奨学金返済デススパイラルに陥らないためにはどうしたらよいのでしょうか? 個人や家庭でできることは、まず早めに親子一緒に奨学金・教育ローン情報を詳細に調べておくことと、大学合格時と在学中にかかる全経費を事前に計算しておくことです。そうすれば、自分の家庭で毎月どのくらいお金が足りなくなるかがわかりますから、それをどの方法で補うかあらかじめ決めることができます。もちろん有利子の奨学金については、借りる金額から将来の毎月返済額をシミュレーションしておけば、思った以上に返済額が多くなることに気づき、借りるのをやめるかできる限り借入額を少なくしようと思うはずです。
 このように、まずは親子自身で情報収集やシミュレーションを行うことが、大きな失敗をしないことにつながります。しかしながら現代は大卒の給料もほとんど上がっておらず、親の世代も昔ほど安定した収入が得られない時代となっていますから、少し節約したところで根本的な解決とはならないかもしれません。やはり高額な授業料・諸経費は何とかならないかという大学経営自体の問題を考えざるを得ません。次回は大学経営改革等について私見を述べたいと思います。

反復練習、習慣付けの大切さ

 今日はニュース記事ではなく、勤務校で中学生の部活指導をしている中で感じたことをつぶやきます。
 私は公立高校の教師として36年間勤務してきましたが、退職後、現在は浜松の私立中・高等学校で非常勤講師としてお世話になっています。公立校の非常勤講師では考えられないことなのですが勤務校特有のシステムがあり、非常勤講師にも指導できる部活があれば顧問に付けられるのです。私は大した選手ではありませんでしたが野球経験者ということで、中学校軟式野球部の副顧問を依頼され、引き受けて現在4年目になります。
 野球を教えること自体は何も不安はありませんでしたが、何しろ授業・部活に限らずこれまで中学生を教えたことは一度もなかったわけですから、「中学生にどういった教え方・指導をすればよいか?」と多少不安になりました。それでも年数をこなすうちに、中学生の扱い方のコツがある程度わかってきました。
 高校生との大きな違いは、「当たり前のことができない」、「同じ失敗(注意されること)を何度も繰り返す」、「1つのことがなかなか習慣化・定着化できない」といったことです。高校生ならある程度教師や仲間への気配りができ、一、二度教えたことが割合早く身につくことも多かったので、内容によっては生徒自身に任せておいても心配なかったのですが、中学生は基本的なこと(挨拶、言葉遣い、練習への取り組み姿勢など)が、何十回言っても身につかないことが結構あったのです。最初はふざけているのかと思ったのですが、どうも年齢・心身の成長度の問題が大きいようなのです。ですから悪気はないのに注意されたことをすぐ忘れてしまい、なかなか定着しないわけです。
  「これは生活指導に高校生の何倍も時間をとられるな」と初めて実感できたのです。ですから中学校のHR指導の時間は長く、掃除や宿題のこまめな提出、放課後課外指導など、それこそ手を取り時間をかけ丁寧に指導していかなければ習慣化・定着化できないのです。こうして私は部活指導を通して、中学校の先生方の日頃の指導がいかに大変か理解出来るようになりました。
 そして、中学校でこれほど手がかかるなら、小学校の指導はもっと大変だろうと想像できるわけです。それこそ20年以上も前になりますが、当時小学生の息子2人に、朝起きれば「おはよう」、帰ってきたら「ただいま」、食事の前は「いただきます」、後は「ごちそうさま」、寝るときは「おやすみなさい」、何か物をもらったら「ありがとう」という当たり前のことがなかなか身につかないため、私自ら何十回、いや何百回と繰り返し催促・指導していたことを思い出しました。
 単なる命令・強制ではまずいですが、特に保護者・教師は、こどもの成長段階、特に中学校までは、基本的なことを繰り返し粘り強く教えていく必要があると改めて感じた次第です。

子供に学校を休ませて家族旅行はあり?

 ちょっと興味のある記事が、教育ニュースのまとめサイトに載っていました。女性セブンが登録会員に対し、子供を平日学校を休ませて家族旅行に連れて行くことの賛否についてアンケートを実施し、10代~80代の男女457人から回答を得たということです。
 回収データが数百件にとどまっていること、回答者は女性セブン読者が多いであろうこと、年代別・性別(雑誌から女性がかなり多いと推測される)の人口比がわからないことなどから、この結果が日本国民全体の考えと一致するかどうかはわかりませんが、一定規模のデータではありますから、ある程度日本の家庭の現状を反映しているかもしれません。
 さて、タイトルの「子供に学校を休ませて家族旅行に連れて行くこと」に、あなたは賛成? 反対? という質問なのですが、皆さんは賛成・反対の割合はどの程度だと予想しますか。
 結果は賛成40.2%、反対59.8%で、どちらかといえば家族旅行のために学校を休ませるべきではないと考える方が多い結果となりました。
 さてこの数字(割合)結果をあなたはどのように受け止めますか? 意外だったでしょうか、予想通りだったでしょうか? お子様の年齢や性別、保護者の職場環境・経済力・教育方針・居住地域などによって、受け止め方もかなり違うと思います。
 おそらく保護者が教員である場合、反対する割合はもっと高くてしかるべきと思うでしょう。私も教員の端くれですので、親が子供に学校を休ませてまでして、家族旅行に連れて行くことに抵抗があるのは事実です。
 教員が公平な立場で意見するのは難しいと思いますが、登校日に親が子供を家族旅行に連れて行くことが当たり前になった時の問題点を、できるだけ客観的に指摘しておきたいと思います。
1.特に小学校の場合、子供心にも「学校は家庭の都合・判断で自由に休める」という考えがスタンダードと認識する
2.同級生の中で、羨ましがって親に旅行を催促したり、逆に強い正義感から当該児童生徒を批判・拒否する子供が出てくる
3.年に何度も平日旅行すれば学習進度は遅れやすいが、その分個別指導で補うことに教師や他児童生徒の理解が得にくい
4.中学高校でも個人的な理由で学校を休むことに抵抗がなくなりやすく、欠席の多さは明らかに進路上本人が不利となる
5.日本の社会の特徴である集団(員)の協力・互助の精神が身につきにくい
6.学校を家族旅行など個人的都合で休む子供が多くなれば、日本の学校教育の在り方を根本から問い直す必要が生じる

 現代では、学校(教師)は、親がお子さんを家族旅行に連れていくことを一方的に許可しないことはなく、またその権限もありません。そうであるがゆえに保護者の方は、特に上記6番の大きな問題につながることも含め、お子様の成長を長いスパンでとらえたうえで、慎重な判断を下していただくことを望みたいと思います。

日本の移民・難民対策について

 少し間があいてしまいましたが、移民・難民シリーズの3回目として、今後日本はどのような対策・政策を行っていくのが良いかを考えてみたいと思います。
 まず、当然のことながら日本国民の中でも移民・外国人労働者・難民に対する考え方は様々です。「先進国という立場からも、人道的な面からもできるだけ多くの移民・難民を受け入れるべきだ」という人から、「島国の特性として異民族との関わりが不安視しされることや、近隣諸国とのギクシャクした関係からできる限り受け容れるべきではない」という人まで十人十色だと思います。
 そこでまずは日本に流入する移民・労働者・難民に関して、現時点でどんな不安材料があるのかを、箇条書きにして整理してみたいと思います。
1.現在の難民申請方法や認定基準では申請者が増加の一途をたどり、認定処理自体が申請に追い付かず、何回も難民申請可能なこと、不服申立てができること、裁定が下りるまで日本で就労可能なことなどの条件から、難民申請のため待機する在留外国人は急増する傾向にある。
2.正規在留者のうち、特に「技能実習生」「留学生」の許可基準や就労条件があいまいなため、実際は許可されていない労働に就いたり、行方をくらますケースが増加している。
3.日本国籍を取得していなくても、在留資格を持っている外国人にも生活保護制度が適用されるため、国民の税金から日本人とほぼ同等な生活保護費が支給される。
4.日本在留者には国民健康保険が適用できるため、これまで日本に滞在したことのない家族の手術・入院費用まで日本の税金から支払われるケースが増えている。
5.日本の人口は長期的にどんどん減っていく一方で、労働力不足を理由に外国人労働者が流入するため、諸外国より在留外国人の割合は急速に増加する。

 ただ、私は一方的に外国人の流入に反対しているわけではありません。サッカーのラモス選手などのように、日本を愛し帰化して永住する方は立派な「日本人」です。そのほか単純労働者、実習生、留学生でも日本を愛している方はたくさんいるでしょう。
 しかし、一部ではあっても、ただの金稼ぎの場と考える人、日本の税金でできるだけ甘い汁を吸おうとする人、政治的工作活動を行おうとする人、日本の資産(マネー、不動産、企業など)を奪おうとする人がいることも否定できません。そのような人たちの割合は増加しなくても、在留者の絶対数が増えればよからぬ人たちも連動して急増します。
 そして何より許せないのは、上記3,4のように、日本国にほとんど税金を納めていないにも関わらず、私たち日本国民の血税から甘い汁を吸ってしまうことです。もちろんシリアやアフガニスタンなどから戦火を逃れ、命からがら脱出してきた人々は難民として認定し、手厚く保護する必要があります。しかしながら前回も述べたように、日本で難民認定基準を満たす人はごく一握りであり、ほとんどは緊急避難する必要性の乏しい人たちなのです。
 結局、私達はまず将来日本のあるべき姿・ビジョンを明確に描く必要があり、それを基に外国人労働者をどの程度どういった基準・条件で受け入れ、どのような契約・違反により強制的に帰還させるのか、また移民・国籍取得の明確な基準をどう定めるのか、早めに日本政府は着手し、法整備するべきではないでしょうか。

サウジアラビア反体制ジャーナリストのカショギ氏の死亡が判明

 ここ毎日のように各国の報道機関により、サウジアラビアの反体制ジャーナリスト ジャマル・カショギ氏の安否についての報道が繰り返されていましたが、ついにサウジアラビア政府は、カショギ氏がトルコのサウジアラビア領事館を訪れた際、館内で殴り合いのけんかにより死亡したと公表しました。
 様々な国や報道機関が伝えるカショギ氏死亡の情報の中には、サウジアラビア特殊部隊十数名が領事館に潜入し、彼を一方的に暗殺したとする過激な内容もありました。まだ真実は明らかになっていませんが、カショギ氏がトルコのサウジアラビア領事館を訪れ、館内で死亡したことは間違いないということです。常識的に領事館内で殴り合いのけんかにより死に至るとは考えにくく、仮に凶器を使っていないのなら、集団によりリンチや拷問で死亡したと考えるほうが自然かもしれません。しかし皇太子の関与がうわさされるだけに、サウジアラビアは政府が関与するような暗殺・処刑を絶対に認めないでしょう。
 この先は各国の政治・外交の駆け引きが絡むため、おそらく真相が完全に明らかになることはないでしょう。日本ではサウジアラビアはアラブの穏健派と受け取られがちですが、実はイスラームの中ではスンナ派のワッハーブ派というかなり保守的で過激な思想を持った人たちが主流の国です。あのアメリカ同時多発テロの首謀者といわれたビンラディンもサウジアラビア生まれといわれます。
 また、サウジアラビアはサウド家が支配する絶対王政国家であり、ある意味北朝鮮と同じような民主主義とは対極にある独裁国家なのです。国民はサウド家に生活等の面倒を見てもらっているわけですから、表立って皇太子を批判できるはずもありません。 そんな中で堂々と反政府報道をするカショギ氏はサウジ政府にとって目の上のたん瘤ですから、北朝鮮のように国家による粛清が行われる可能性は否定できないのです。

 日本で生活していますと、北朝鮮の金正男氏暗殺や、今回のカショギ氏殺害? はまるでサスペンス映画のように感じるかもしれませんが、実は身の安全が保障されなような国は世界ではまだまだあるのです。
 日本は「スパイ天国」といわれるように、スパイ・政治工作員がたやすく侵入しやすい国といわれます。私が印象に残っているのは、1991年7月に発生した「悪魔の詩訳者殺人事件」です。イラン革命によってイランの最高指導者についたホメイニー氏を批判した、サルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」を翻訳した筑波大の五十嵐助教授が、同大学筑波キャンパス人文社会学系棟のエレベーターホールで刺殺されたという事件です。当時ホメイニー氏は、この著書が反イスラム的であるとして、ラシュディ氏や発行に関わった者に対して死刑宣告を出していたのです。その宣告通り殺されたのですからイラン政府特殊暗殺部隊の犯行ではないかと思われましたが、結局真相はわからず時効が成立しています。
 しかし、直接の死刑執行ではなかったとしても、日本の大学構内でいとも簡単に堂々と殺人が実行されたわけですから、日本の対外的治安・警備はザルではないかと、私は当時強く思いました。
 少し飛躍するかもしれませんが、例えば東京オリンピック開催時に直接日本国民が狙われなくても、日本を訪れている外国のVIPを狙った暗殺やテロが発生し、それに市民が巻き込まれるリスクは、日本の現状では他国に比べかなり高いと思います。国民を守るためにも日本の国の信用を落とさないためにも、警備には万全を期してほしいと思うのです。
プロフィール

わだしん

Author:わだしん
和田慎市です。公立高校退職後、私立高校で講師をしています。教鞭をとるかたわら、教師人生で学んだノウハウを多くの方に活かしてもらおうと、執筆・講演活動を行っています。H29年末に第三作「いじめの正体」(共栄書房)を出版しました。最近はアゴラ‐言論プラットフォーム‐に時々投稿しています。ご意見・情報交換はこちらへお願いします。なお、詳しいプロフィールはこちらから。

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