スリランカの爆弾テロ事件に見る恐ろしさ!

 スリランカで300名以上の方が犠牲になる大惨事(爆弾テロ)が起こり、残念ながら日本人も犠牲になってしまいました。
 首謀者や動機などが少しずつ明らかになりつつありますが、まだまだ謎が多い事件です。

 スリランカは約10年前まで、長年国内で民族紛争が頻繁に起こっていました。しかし、それは国民の過半数を占めているシンハラ人(仏教徒)とインド半島から渡ってきたタミール人(ヒンドゥー教徒)との争いでした。
  十年ほど前に両者の和解が進み表面上は紛争が沈静化したため、地理(授業)でも「スリランカ民族紛争」について、教科書や資料集への記載はあまり見られなくなっています。

 民族構成からみても1位が仏教徒、2位がヒンドゥー教徒であり、過去多数派の仏教徒がムスリム(イスラム教徒)を弾圧したことはありましたから、今回の首謀者が情報通りイスラム過激派だとすれば、仏教徒をターゲットにすることは合点がいきますが、同じ少数派のキリスト教徒を標的にするのは国内事情からいえば考えにくいことです。

 そんなこともあって私は今回のテロ事件が、ニュージーランドで白人至上主義者が起こしたムスリムの虐殺事件の仕返しかもしれないという不安を抱きました。

 すると本日、スリランカの閣僚が「今回の事件はイスラム過激派によるニュージーランド事件の仕返しとみられる」というコメントを発表したのです。

 ただ仕返しが目的なら、アジア系でキリスト教徒が少数であるスリランカより、犯人の出身地のオーストラリアやキリスト教社会の本丸である訪米諸国を狙うのが普通だと思います。
 このあたりがまだ謎なのですが、今回の首謀者とみられるスリランカ地元のイスラム過激派は国際規模の組織ではないらしく、大組織と連携して国外で活動することができなかったのかもしれませんし、教会だけでなく高級ホテルを狙ったのは、白人が滞在している可能性が高いと踏んだからかもしれません。

 いずれにしましても私たちが誤解してはならないのは、世界で17億人ともいわれるムスリムの大半は、穏健な争いを好まない人たちだということです。また、どの宗教・民族もそうですが、過激なテロリストとなっているのはごく一握りの人間であり、宗教・民族で単純に色分けしてはならないということです。

 ただ、イスラームで問題とされるのは、他教徒との戦いを「聖戦(ジハード)」と位置づけ、戦いで命を失うことは「名誉ある死」であり、残された遺族は尊敬の対象となることです。ですから日本と違い、死を恐れるどころか自らの意思で進んで「自爆テロ」を実行する人間が後を絶たないのです。
 
 今回もホテルの朝食時に多くの宿泊客が集まったレストランに犯人は入り込み自爆しました。
 映画などでは主人公がアジトに侵入し敵をやっつけ、必死に脱出するシーンがよく見られますが、自分が逃げ延びる方法を考えた場合、実行後敵地の真っただ中からの脱出は困難を極めますから、侵入場所や標的はかなり限定されるはずです。

 ところが自分が一緒に死ぬつもりなら、極端に言えばどんな場所にも潜入が可能になります。トラックで突っ込む方法もありますし、かつてインドの首相が演説会後、大観衆の中から握手を求めてきた女性の自爆テロの犠牲になったこともありました。
 ムスリムの大半の方々に罪はありませんが、このジハードや死んで英雄になる教えは、他教徒にとって恐怖であることは事実です。
 以前にも書きましたが、東京オリンピックにおいても「備えあれば患いなし」です。闇雲に疑うというのではなく、ボランティアの基準・審査や入国管理の徹底をしっかり行うとともに、入国後の追跡調査も欠かさなず行うことでしょう。そして、特に輸送業務(運転手等)の採用については厳密な審査が必要だと思います。

「観光亡国論」(アレックス・カー著)を読んで

 以前ブログで取り上げた「観光亡国論」を読み終えましたので、その概要と感想を書きたいと思います。

 まず、この著書で指摘された問題点ですが、

ア.世界を覆う「オーバーツーリズム(観光過剰)」と「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」の問題
イ.中国人観光客の激増と観光公害の広がり
ウ.エアービーアンドピー≒民泊の乱立と、不動産の買い占めによる地価の高騰
エ.富士山にみる入場者制限・入山料徴収の不徹底さ
オ.地元に経済効果がもたらされないアクセスルートや駐車場の建設
カ.公共工事という観光公害
キ.看板公害(土足厳禁、撮影禁止など)の一般化
ク.「ゆるキャラ」などに見られる文化の稚拙化
ケ.観光業で汚染された場所=ユネスコサイドの世界的な増加
コ.クルーズ船寄港など大型観光≒ゼロドルツアーの弊害
サ.オーバー報道、オーバーキャパシティの問題

 などがあげられます。
 そして著者は解決策として以下のことを述べています。

① 適切なマネージメントとコントロール(適切な管理と制限)を実施する
② イタリアの都市を例とした農村で休暇・余暇を過ごす「アグリツーリズム」の普及
③ 法律(条例)を使い分け、規制強化と規制緩和のバランスをとった施策を実施
④ 価値に見合った拝観料・見学料の徴収と、入場者制限や予約制の実施
⑤ 外国人観光客に対する事前のマナー講座(バス内など)の実施
⑥ クオンティティ・ツーリズム(量の観光)からクオリティ・ツーリズム(質の観光)への転換
⑦ ゾーニング(どこに何を作るか作らせないかなどの国家によるグランドデザイン)の実行
⑧ 旅行会社依存からの脱却

 さて、私は量から質へという観光の在り方やゾーニング、また、ある程度国家(政府)が観光行政に介入することについて異論はありません。ただ、「年間訪日外国人観光客数4000万人!」など、具体的な数値目標を掲げることには抵抗があります。

 今後日本はどうあがいても大幅な人口減少は免れません。国全体としては経済的にしばらくマイナス成長が続く可能性は高くなりますが、ある意味人口数が減っているわけですから当然です。ですから総量(GDPなど)にこだわるより、いかに日本国民一人一人の生活の質を高めていくかが重要ではないでしょうか。
 国全体の経済成長にこだわる必要がなければ、外国人観光客の全体数は増えなくても、実質的に日本の良さを理解し、日本を愛し、日本に帰化する人を地道に増やしていくことの方が、日本の国際的な評価も高まるとともに暮らしやすい日本社会が実現できるのではないでしょうか。

旧態依然としたマスコミ(新聞)の実態

 19日午後、東京池袋の繁華街で車が暴走し、母子二人が死亡するという痛ましい事故がありました。
 車を運転していたのは87歳の老人で、今のところ原因はブレーキとアクセルを踏み間違えたのではないかということです。

 さて、今回私がこの事故を取り上げたのは、悲惨な事故を起こした運転者を糾弾したいからでも、繰り返される老人の運転事故の問題点を指摘したいからでもありません。
 事故を伝える記事を見て、いつまでも変わらないマスコミの報道姿勢を再認識したからなのです。

 実は新聞記事には運転手の本名とともに、過去の勤務先まで掲載されていたのです。「旧通産省工業技術院 元院長」と。
 87歳の運転手が一体いつまで勤めていたのかといえば、「1989年に退職」との記載がありました。なんと30年も前のことです。
 常識的に考えて、一体30年も前の勤務先を書く必要があるのでしょうか? しかも汚職などのように仕事との関係が疑われることは全くない自動車事故なのです。

 なぜこのようなことが起こるのかといえば、これまで長い間マスコミは、社会的地位の高い職業・役職(医者、社長など)や、公的な信用の高い職業(教員、警察官、役人など)の人物が退職後何らかの罪を犯した場合、たとえ何歳になっていようとも過去をさかのぼって職業・地位・勤務先を明らかにしつづけてきたからなのです。

 同様の問題をもう1つあげさせてもらえば、凶悪な事件が起こるたび、容疑者や死亡した被害者の写真が必ずといってよいほど新聞やテレビに掲載されるのをご存知かと思います。ただ、最近の写真がないのか関係者から手に入らないため、当事者は中年(例えば40代)なのに、はるか昔の高校時代の写真が使われることも時々目にするのではないでしょうか。

 いったい遠い昔の写真を手に入れてまで掲載することにどんな意味があるのでしょうか? 

 実は容疑者の場合まだ有罪が確定していませんから、犯人と決めつけて顔写真を公開するのは問題があるはずですし、被害者の場合も、遺族が掲載を了承しなかったため高校の同級生の卒業アルバムを拝借し、写真を掲載したのではないかとの疑いもあります。

 今一度言いますが、報道関係者の方は容疑者の過去の職業、写真掲載について、その必要性・理由を考えたことがあるのでしょうか? 私には過去何十年も続けてきた慣例を、何も考えずに思考停止状態で踏襲しているとしか思えません。

 このことに限らず、本来人権に敏感で民主的改革の先頭に立たなければならないマスコミが、実は過去の慣習にとらわれ、最も旧態依然とした既得権益団体となっていることが日本社会の大きな問題であると私は思います。

大学入試の大改革を提案します!

 少し前のブログで、宇都宮の「ジャパンカップ」公認コースの激坂を登り切った画像をお見せする旨を書きましたが、実は画像の容量オーバーで載せられませんでした。私の技術では容量を調整して載せることができませんので、前回は急遽画像・内容を変更した次第です。
 タイムリーな画像ではありませんでしたが、自転車の魅力を伝えるという役割は果たせたでしょうか?

 
 さて今回の本題です。先日文科省主催の小学校6年・中学3年対象の「全国学力・学習状況調査」が行われましたが、今回もほとんどの学校が参加したようです。
 今日はこの問題については直接書きませんが、都道府県間の順位競争を煽っている等の問題は再三指摘されます。

 すでに私は、文科省を頂点とする日本の中央集権型教育行政の問題点を何度も指摘していますが、今回は大学入試について、ただ批判するのではなく前向きな提言をしてみたいと思います。

 現在の大学に関する問題点を整理しますと、
受験生側から見れば、

1 センター試験等により大学の偏差値序列化が進んでいる
2 私立大はもちろん国公立大でも受験料や入学金・授業料が高騰している
3 1の影響もあり、一流大学(高偏差値)に入ること、一流大学から一流企業へ就職すること自体が半ば目的化している
4 一流大学の入試問題が難化し、高校で学習する内容(教科書レベル)から逸脱している

などの問題があり、一方大学側では、

1 受験生数より大学総定員の方が多くなり、大学間格差の拡大とともに下位大学はフリーパス状態となっている
2 国公立大学が独立法人となり、中には財政難で文科省の顔色を窺うなど自主性が失われている大学もある
3 実績を上げ補助金を確保するため、、学問研究よりも就職対策や留年・退学者対策のウエートが増している

 いずれにしましても、大学入試から改革していかなければ現状はなかなか変わりません。そこで勝手ながら入試改革私案を提示したいと思います。なお、今回は財政面(授業料、奨学金、大学の補助金等)については一切取り上げず、入試制度改革に焦点を絞ります。

案① 理想論(現実にはなかなか実現しにくいが…)
 現在でもすでに考案中の「高校卒業資格確認試験=大学入学資格認定試験(5教科(5~10科目)」を高校2、3年次に年間2~4回実施し、合格した生徒はいずれかの大学に必ず入学できるものとする。
 この試験の点数は2次試験に全く影響せず、各大学の2次試験は志望理由書(高校で何を学び、大学でどんなことを学びたいか、将来どんな仕事をしたいか、それに向かって今どんなことに取組んでいるかなど、詳しく記載)と面接(主に志望書に関する内容)のみで選考する(ただしあまりにも高倍率の大学は抽選等も併用する)。受験選抜がほとんどない分、各大学は独自性を様々な形で広報する。もちろん受験数が定員を割った大学は全員合格とする。

案② 
 案①では有名難関大学に受験生が集中する可能性があるので、多少現実的に工夫し、「高校卒業資格確認試験=大学入学資格認定試験」の得点を例えばA~Dの4段階で評価し、最低基準(例えば1000点中500点以上)をクリアしていれば全員受験資格はあるが、国公立大学は各大学ごとに受験生の目安(A段階800点、B段階700点など)を提示できるものとする。各国公立大学は認定試験の得点そのものは選抜材料としないが、段階値(A~D)だけは選考基準に加えてもよいものとする。この基準は認定試験に参加する私立大学でも提示できるものとする。
 国公立大学の2次試験は原則案①と同じ志望理由書と面接のみを原則とするが、特別に学科試験を教科書の内容から1~3科目程度なら実施できるものとする。私立大学はこの認定試験を一次選抜に利用してもよいし、下限は定めず独自の試験で選抜してもよい。

案③(さらに現実的なもの)
 現在のセンター試験を「国公立大学資格試験」として実施し、例えば1000点中500点以上あれば2次試験に進めるが、499点以下は自動的に国公立大学受験資格を失うものとする。
 この点数自体は選抜に影響せず、各国公立大学は独自に選抜試験(できるだけ科目数を限定)を行う。論述・記述等思考力を見る問題を出題してもよいが、やはり案②のように必ず教科書の内容から出題するものとする。私立大学はこの資格試験を利用するのも独自試験だけ実施するのも自由とする。


 これらの案の意図ですが、まず現在の大学入試があまりにも偏差値重視で序列化が進んでおり、大学で何を学ぶかよりも難関有名大学へ入学することが半ば目的していることがあります。そこで現在のセンター試験を実質無効化しようというものです。

 また受験生は高校の授業で学ぶ内容を越えて2次試験対策をしなくてはならず、本来高校の学習内容を正確に知らない大学職員が入試問題を作成すること自体問題があるため、「教科書に載っている内容」という制約条件(違反大学には厳しいペナルティー)を課すわけです。

 さらに、大学全入時代に入り「大学卒」の意味が失われつつありますので、認定・資格試験で大学で学べる最低限の学力資格を問うべきだということです。

 文科省がある限りなかなか実現は難しいかもしれませんが、少しでも受験生や高校側の負担をなくし、その分生徒がどの大学で何を真剣に学ぶかという点を重視するのが本来の高等教育のあるべき姿なのでははないでしょうか。

財政・経済面についてはまた後程書かせていただきます。

自転車(競技、サイクリング)は楽しい!

 今回は久しぶりに画像をアップしてみました。画像から少しでも自転車の魅力が伝わればうれしいかぎりです。

城崎温泉サイクリング
 3年半ほど前、兵庫県のあの有名な城崎温泉をスタート・ゴールとするサイクリング大会に参加しました。

 朝からあいにくの雨の中百数十キロをくたくたになって完走しましたが、最後温泉街に戻ってきた時、旅館の方や多くの観光客が沿道から声援を送ってくれたため、気分良くゴールすることができました。
 この写真は会場で地元のミス城崎? に囲まれとっていただいた写真です。
 雨天のため自転車もジャージも泥だらけとなり、有名な外湯にも1つしか入ることができませんでしたので、近いうちにもう一度参加して城崎温泉にもゆっくり浸かってみたいと思います。


日産フェスティバル


 これは9年ほど前になりますが、日産フェスティバル自転車競技大会に参加して入賞(確か3位)した時の写真です。
 スタジアムを起点とした4キロ余りの周回コースを2時間(3時間)の間に何週回れるかという耐久レースです。バックスタンドの大型電光掲示板に自分の名前と順位が大きく映し出されたときには、ホビーレーサーの私が一周有名選手になったような錯覚を覚え、感動しました。
 クロスバイク部門のため参加人数は20~30名でしたが、年齢制限がなく、20,30代との若者と戦って(当時私は50代)の入賞でしたので、自分ながらよく頑張ったと思います。
 

日間賀島ママチャリ

 最後は7~8年前、愛知県の日間賀島で行われたママチャリ2時間耐久レースに参加した時の画像です。ただレースとはいっても順位を競うものではなく、主催者の選んだ着順や出走番号の人が特別賞をもらえる大会です。
 小さな島の周りを何十周も回るのもなかなか楽しいものですよ。
 この日は妻が応援で付き添ってくれたので、終了後日間賀島の民宿に泊まり、食べきれないほどの量のおいしい魚(タコは食べきれずに持ち帰りました)をいただき大満足でした。この大会も存続していればもう一度参加したいと思っています。

なお、この画像は和田慎市のホームページ「先生が元気になる部屋」の中にも掲載しています。

というわけで自転車の魅力が少しでも皆さんに伝わったでしょうか?
現在の私はレースを引退し、月に1度全国のサイクリング大会を行脚しています。



プロフィール

わだしん

Author:わだしん
和田慎市です。公立高校退職後、私立高校で講師をしています。教鞭をとるかたわら、教師人生で学んだノウハウを多くの方に活かしてもらおうと、執筆・講演活動を行っています。一年ほど前、第三作「いじめの正体」(共栄書房)を出版しました。ご意見・情報交換はこちらへお願いします。なお、詳しいプロフィールはこちらから。

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